これが気になりますね。ん~。

引用開始


 サッカー元日本代表でJリーグ「セレッソ大阪」のアンバサダー、森島寛晃さん(40)は、サッカーファンにとってはとてもかっこいい存在である。まさに“ミスターセレッソ”。そんな森島さんだが、娘の優衣ちゃん(5)を前にすればごくごく普通のパパとなる。今回は、普通のパパの様子を語った。

 女の子は「大きくなったらパパと結婚したい」というデータがあるんですけど一度もいってくれない。

 「大きくなったら誰と結婚するの」「パパぁ?」といったら「違う」といって幼稚園の男の子の名前を出すんですよ。これはおかしいな。「でも、優衣ちゃん、パパともしかしたら結婚するかもしれないよね」というと「しない。なになに君」っていって。その男の子が今ぼくの中ではちょっとライバルなんですよ。一度も「パパと結婚する」と聞いてないんですよ。それがもうすごいショックで、すごい寂しいなと。

 なんか、遊んでほしいときだけ機嫌をとってくるんですよね。この辺の駆け引きというのはどうやって覚えていくんだろうな。子供の駆け引きというのもおもしろいですよね。

 〈娘、優衣ちゃんの「優」の字は妻の友香(ともこ)さん(40)がこだわった。その後、「優」の付くいくつかの名前から「知り合いの人に見てもらって」決めたという〉

 ずうっと(子供が)できなかった。(結婚)8年後ぐらいにできて、「できた」っていうとき正直ぼくも首痛めて、プレーもできていないときだった。で、時間もまぁまぁありますし、病院行くときも結構一緒に行ったりした。

 不思議な気持ちでしたね。何かこう自分の娘。すごくうれしかったのはうれしかったですけど。なんかこう、そわそわする感じがありました。見れば見るほど自分の子供だーっていう感じはしました。

 最初は嫁の実家帰ってたんで、ぼくも実家に泊まってたんです。最初の2日くらいは、夜中も嫁が起きると目が覚めたんですけど、慣れって怖いなって。3日目くらいから、子供の泣き声が逆に子守歌になって、ぼくは寝てしまうんです。夜中、パッと目が覚めたら嫁が目開けたままこっちを見ている。その姿をみたら、怖いなぁと。

 そうやって一緒にいられたというのは今考えるといい思い出にもなりました。

 〈大阪人の友香さんと結婚したのは平成12年1月。優衣ちゃんが生まれたのは8年後の20年1月だった〉

 子供ができた瞬間は覚えています。「準備できましたら呼びますから。お父さん、部屋で待っといてください」って。ぼく(テレビ番組の)「笑っていいとも」見て、笑っていたときに「お父さーん」という声がして、「生まれました」と。だから(娘は)笑いは好きなはずです。「笑っていいとも」ですから。

 みんないうのは、顔はお父さん似ていうんです。性格は嫁似っていってるんですけどね。

 ぼく自身、ちっちゃいころからサッカー選手になりたいという気持ちを持ってやってきました。子供もスポーツで、なにかやりたいものができてくるのかなと考える。

 男の子だったら、(サッカーを)やれとはいわないですけど、ボール渡したり、サッカーのテレビ見せたりしてたかなと。女の子なんで、あんまりそういうのはしないですけど。

 嫁といってるんです。娘が何をやるかわからないですけど、大きくなったら(女子プロゴルファーの)横峯さくらちゃんとこみたいに、行くところにキャンピングカーで自分らも一緒について行こうと。一緒にいけるのがいいなっていってます。(野瀬吉信)
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