おやじと子供とテレビゲームと妻と

おやじと子供とテレビゲームと妻と

34歳パチンコ屋マネージャー。バツイチ子供2人の再婚者。子育てのかたわらに、いつもテレビゲームがありました。ゲームと子供の思い出を綴っていきます。

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ポケモンスタジアム金銀クリスタルバージョン対応

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子供達とテレビゲームのセカンドインパクト。

それはやはり「ポケモン」である。

今回紹介するのは、ニンテンドー64の「ポケモンスタジアム」
画像がないので、ポケモンスタジアム金銀クリスタルバージョンになっているが、シリーズの初代、「ポケモンスタジアム」である。

話は少し戻って、ピカチュウげんきでちゅうに戻る。

ピカチュウげんきでちゅうを買ってきてから、子供達は一生懸命ピカチュウとのコンタクトを楽しんでいた。

ただ問題は、さすがにまだコントローラーが大きいのであった。

ピカチュウが止まっていて、言葉をかけたりするのは良いのだが、ピカチュウがあっちこっちへ移動すると、それを追いかけるのに苦労していた。

左手で3Dスティックをコントロールするのだが、指が短いため微妙な操作は不可能である。

3Dスティックは倒す角度により、進む速度がゆっくりになったり速くなったりするのだが、極端に傾けることしか出来ないので、子供達の操るプレイヤーは

ずっと走りっぱなし

で、近くにいるピカチュウにも全速力で向かっていくので、すぐ

追い越したり

していた。

そんな中、マイクでは

ピカチュウ! ピカチュウ!

言わなくてはいけない。

さすがに、幼少の子供には難しいようで、彼らは工夫をし

・操作するのはお兄ちゃん

・マイクでピカチュウに声を掛けるのは妹

というように役割分担をし、自分達の身体的ハンデを乗り越えようとしていた。

それでもゲームはそれほど進行せず、確かステージ3くらいで止まっていたと思われる。


ちょっとこれでは可哀想だと思い、既に販売されているポケモンのソフトを購入することにした。

それが、「ポケモンスタジアム」である。

ポケモンスタジアムのゲームの内容は、ゲームボーイ版ポケットモンスターの対戦に焦点をあてたものである。

現在ではWii版も販売されているポケモンスタジアムシリーズであるが、初代のポケモンスタジアムに収録されているポケモンの数はたった30。

β版ではないのか?

と思わせるような内容であるが、その頃のポケモン人気は凄まじいものがあり、 任天堂が時期を逃さない為に、制作時間を短くして行った苦肉の策ではないかと思われる。

選ばれた30体の選考基準は、当時数々行われたポケットモンスターの対戦大会で使用頻度の高かった上位30体。

プリンやゼニガメといった可愛い系のポケモンは対戦大会では使用されないので、登場するのはリザードンやニドキング、ギャラドスといった

ゴツい系

ばかりであった。

だが、そんな中でもピカチュウだけは登場していた。
使用頻度上位30位にランキングされていないのにも関わらず…。

任天堂の策略

である。

かといって、ピカチュウではゴツい系には歯が立たない。

もっぱら遊ぶのは息子の方であった。

これではせっかく「ピカチュウげんきでちゅう」で無理矢理の協力プレイで兄妹の絆を作りあってきた息子と妹の関係が悪くなってしまう…。

一緒に遊べるゲームを与えなくては…。

そう悩んでるなか妻からアドバイスがあった。

「思い切って ゲームボーイのポケットモンスターを買ってしまおう」

というものであった。

ポケットモンスターはRPGである。

私にはまだ、幼少の彼らがRPGを出来るとは思っていなかった。

だが妻曰く、保育園の同じ歳の子でポケモンを既に遊んでいる子もいるし、なにより会社の飲み会のビンゴゲームで、

ゲームボーイポケット

ピンクを当てたというのだ。

あとはソフトがあれば良いだけの状態である。

ちなみにその当時、ポケットモンスターのゲームボーイ版は、
・ポケットモンスター赤
・ポケットモンスター緑
・ポケットモンスター青
・ポケットモンスターピカチュウ(黄)

と4種類あった。

さて、そのうちのどれを我が家では購入したか…。

つづく
次回は「ポケットモンスター赤緑青黄」
ピカチュウげんきでちゅう

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子供達とテレビゲームのファーストコンタクト。

昔のことは数字が曖昧になる。
子供達が5歳くらいのことだった。

「ニンテンドー64」というハードがあった。
任天堂がスーパーファミコンの次に販売した据え置き型テレビゲーム機である。

ポリゴンによる3Dキャラクターの表示などがハードの目新しい部分であったが、一番特徴的であったのは、
コントローラーの形

ハードの頑丈さ

であった。

コントローラーの形は、例えるならスターウォーズのスピーダーのようで、機首と翼があり、戦闘機のようだ。
任天堂もそれを意識していたようで、あるカタログにマリオがN64のコントローラーに設けられたコックピットに座り、空を飛んでいる絵があった。
ゲームが出来ない幼児でも、手に持って遊べる造形であった。

ボタンの配色も     と原色を配列し、色違いのコントローラーもまた原色使用のいかにも子供が好む配色であった。

そしてハードの頑丈さ。
N64の天面部はアーチ状になっており、平面よりも衝撃に強い形になっている。
材質も硬質なプラスチックで、ものは試しと何度か拳で強打をしたことがあるが、ヒビひとつ入らず、正常稼働をしていた。

この頑丈さは、子供が踏んでも、近くで暴れて上に倒れてもビクともしない硬さである。

同時期のハード、プレイステーションやセガサターンは逆にもろかったことがあり、その頑丈さは、やはり対象を子供に絞っている表れと思われる。


我が家にはN64があった。

会社の後輩がハード販売同時期に購入したのだが、どうにもお子様向けゲームしかなく遊べないということで、安価で譲ってくれたものであった。

だが、当時4、5歳の子供達に「マリオ64」をはじめとしたアクションゲームは出来るわけもなく、かといって私の年代の遊べるゲームもなく、我が家でもN64はお蔵入りしていた。

クリスマス前であった。
今回紹介するゲーム「ピカチュウげんきでちゅう」はクリスマス商戦に発売された。

ポケットモンスターことポケモンはその頃既にテレビアニメ化され、子供達はゲームこそ持っていないしプレイしていないが、テレビアニメは熱心に見ていた。

息子も娘もピカチュウが大好きだ。
ピカチュウのおもちゃやぬいぐるみはたくさん持っていたし、ピカチュウの着ぐるみパジャマまで持っていた。

一時期、我が家はとても黄色かったのを覚えている。

「ピカチュウげんきでちゅう」の優れているところは、ゲ-ムをするにあたってそれほどアクション要素がないことである。

むしろ重要なのは、付属のマイクを使ってピカチュウとコミュニケーションをとることで、様々な言葉にピカチュウがアクションと鳴き声で応える。

これならば子供達でも遊べると思いピカチュウげんきでちゅうを買ってあげようと、発売日に池袋へ買いに出た。

同年代の子供をもつ会社の上司と買いに行ったのだが、ビッグカメラで既に売り切れ。
西武デパート、東武デパートのおもちゃ売り場でも売り切れであった。

二人で途方に暮れたのだが、そこでアイデアが思いついた。

マニアックなゲームショップなら余っているのでは?

当時、池袋のサンシャイン通りから路地を入ったところに、美少女ゲームを主要で販売しているゲームショップがあった。

美少女ソフトが主要とはいえ、キラータイトルであるピカチュウくらい、販売はしているだろうと思い、二人でゲームショップに入っていった。

上司が凄く嫌な顔をしていたのを覚えている。

案の定、ピカチュウげんきでちゅうは、ビッグカメラやデパートでは考えられない程、

山積みで余っていた

名前すら聞いたこともない、美少女ゲーム。それも鬼畜系は多数売り切れであったが…。

上司と二人で一本ずつ購入したが、袋に入れてもらうのは断った。

美少女の絵入り

だからだ。

上機嫌な上司からラーメンをおごってもらい帰宅した。


子供達はゲームの存在をテレビCMで知っていた。

ピカチュウ好きな息子と娘はかなり欲しがっていたので、鞄からソフトを出して見せた時は目が輝いていた。

私自身初めて買ったN64のソフト。
その時の目の輝きを見て、これが任天堂の戦略かと改めて気付かされた。

任天堂はテレビゲーム機を作ってはいない。

あくまで玩具を作っているのだ。

会社の後輩が譲ってくれなければ、N64は見過ごしてたハードであった。

これから始まるテレビゲームと子供達の物語。

これから生まれるたくさんの感動。

私は任天堂に感謝した。


つづく
次回は「その3 ポケモンバトルコロシアム」
その1。第1回目ということで、登場人物の紹介をしていこうと思う。

①私
現在34歳のパチンコ屋のマネージャーを職業とするおっさん。
20歳で結婚、子供を2人授かるが後に離婚。
子供2人を引き取り、その後4年を経て再婚。

②息子
現在13歳の中学2年生。
美術部在籍。
実はナイーブな男の子。

③娘
現在12歳の中学1年生。
ソフトテニス部在籍。
実はサディスティック。

④妻
現在の妻。専業主婦の19歳。
趣味はコスプレ。
16歳になると同時に結婚してくれた。

この4人が主要な登場人物である。