どうも、ぱちんこ特許チャンネルです。



二項対立と二律背反

――世界を「二つだけ」で切り分けないために



私たちは日々、無意識のうちに物事を二つに分けて考えています。


正しいか、間違っているか。
成功か、失敗か。

攻めか、守りか。


こうした整理の仕方は、判断を早くし、議論を前に進めるための有効な手段です。特に、時間や制約の多い現場では欠かせない思考法でしょう。


一方で、その「分かりやすさ」が、知らず知らずのうちに思考の射程を狭めてしまうこともあります。


ここで意識しておきたいのが、「二項対立」と「二律背反」という二つの考え方です。


二項対立とは何か

二項対立とは、物事を相反する二つの概念として捉える枠組みです。


白と黒、善と悪、勝ちと負け。


世界を単純化し、理解しやすくするための、人間にとって極めて自然な思考様式です。


問題が生じるのは、本来は連続的で、多層的な事象を、無理に二つだけに切り分けてしまうときです。


途中のグラデーションを無視して、どちらか一方に押し込めてしまう。そうすると、現実の一部しか見えなくなります。


遊技者の目的は「勝つ」か「楽しむ」か

遊技機業界でよく耳にする問いに、次のようなものがあります。


「遊技者は、勝ちたいから打つのか。それとも、楽しみたいから打つのか」


一見すると、もっともらしい問いです。開発や企画の方向性を決める上で、重要な分岐点のようにも思えます。


しかし、これをそのまま二択の問いとして扱ってしまうと、少し危うさが生じます。


なぜなら、「勝つこと」と「楽しむこと」は、本当に対立する概念でしょうか。


勝てるから楽しい、という遊技者もいます。
勝てなくても、演出や没入感があるから楽しめる、という遊技者もいます。
あるいは、勝ち負けとは別のところに価値を見出している人もいるでしょう。


それにもかかわらず、「勝ち重視か、娯楽重視か」という二項対立で整理してしまうと、遊技者の体験は急激に単純化されます。


そして、「こちらを立てれば、あちらが立たない」という構図が、いつの間にか前提になってしまいます。


二律背反とは何か

ここで登場するのが、二律背反という考え方です。


二律背反とは、どちらも正しく、どちらも無視できない二つの要請が、同時に存在している状態を指します。


遊技において言えば、「勝ちたい」という欲求も、「楽しみたい」という欲求も、どちらも遊技者の本音です。どちらかが偽物で、どちらかが本物、という話ではありません。


このとき重要なのは、二律背反を無理に解消しようとしないことです。


どちらかを切り捨てるのではなく、「なぜこの二つは同時に存在しているのか」「どのレイヤーで両立しているのか」を考えることが、本来の向き合い方になります。




具体と抽象を行き来する

二項対立と二律背反を混同しないために有効なのが、「具体と抽象を行き来する」という姿勢です。


「勝つか、楽しむか」という問いを、少し抽象化してみましょう。


この問いの背後には、「遊技体験において、どこに価値を置くのか」「どの瞬間に満足が生まれるのか」という、より大きなテーマが隠れています。


抽象度を上げて眺めると、「勝つ」と「楽しむ」は対立軸ではなく、体験価値を構成する要素の一部に過ぎないことが見えてきます。


勝利は楽しさを強化する要素でもあり、楽しさは敗北を受け止めるための緩衝材にもなります。


具体に戻れば、「では、この機種ではどこを厚くするのか」「このユーザー層にとっての満足点は何か」という、建設的な設計議論に落とし込むことができます。


二つで考える癖を、少しだけ疑う

二項対立そのものを否定する必要はありません。


それは思考の出発点として、とても有効です。ただし、それを結論にしてしまうと、見落としが増えます。


二律背反に直面したとき、「どちらが正しいか」を決めようとすると、議論は硬直しがちです。


それよりも、「これはどのレイヤーの話か」「抽象化すれば、共通点は何か」と問い直す方が、現実に即した答えに近づきます。


遊技機開発は、常に複雑な制約と期待の中にあります。
だからこそ、世界を二つだけで切り分けない。


具体と抽象を行き来しながら、構造として理解しようとする。


その積み重ねが、結果として、より多くの遊技者に届く体験を生むのではないでしょうか。


今日はここまで。

それではまた。