<YouTube・日本記者クラブ公式より>

http://youtu.be/x0XyL9cssHs

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シリーズ企画「3.11大震災」

司会 日本記者クラブ企画委員 瀬口晴義(東京新聞)

和合亮一さんのTwitterアカウント
@wago2828

和合亮一さんが代表を務めるプロジェクトFUKUSHIMA!のホームページ
http://www.pj-fukushima.jp/

日本記者クラブのホームページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2012/03/r00024033/

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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2012年4月号に掲載)

福島から「言葉の橋」を

入場し着席した和合さんは、知り合いとみられる何人かと会釈してほほえんだ。
なごやかな雰囲気で会見が始まる。

高校の国語教師らしいのか、らしくないのか。一つ一つ言葉を­選び穏やかな
口調で話が進んでいく。流れを変えたのが自作の詩の朗読だった。
一際大きな声が響く。
 

肌がとられていく
剥(は)がれていく
激しい寒気の真冬に
除染されて 樹皮を削られた私たち


自身が訪れた福島の果樹園の姿だ。最新刊『ふたたびの春に』(祥伝社)
所収の「苦難」という詩である。

果樹農家を訪れて、リンゴやモモの幹の皮を剥ぎ周囲の土を掘る除染作­業を知る。
身を削られる樹木の叫びは和合さんのものでもある。
 
すでに中原中也賞を受賞したいっぱしの現代詩人である。震災後のツイッターの
つぶやきから広く一般にも知られるようになる。

詩集『詩の礫』(徳間書店)に始まり怒濤のよう­に7冊の本が出された。
20年間の詩人活動で出した6冊をあっという間に超えていた。

この日のキーワードは「言葉の橋」だった。

避難所で67歳の女性が語っていた

いい言の橋をかければ必ず相手も渡ってきてくれる

という話に心を打たれたのだそうだ。

最後の締めくくりで和合さんの声がまた一段と大きくなった。

橋をかけられることを待つのではなく、福島から橋をかけていく

外側の人に声を熱くして伝えていく。そうでなければ福島は生き残ることができない」。

「言葉の橋」を架­け続けるという覚悟。

福島への愛と使命感。

滅多に聞けないと思うほどの強い言葉だった。

実は私自身も福島の出身である。

微力ながら「言葉の橋」を架けていこうと考えている。

毎日新聞編集編成局専門編集委員 冠木 雅夫

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