
★富岡八幡宮★
1624年(寛永4年)、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓し、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされる。
八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。
広く美麗な庭園は人気の名所であったという。
当社の周囲には門前町(現在の門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ、商業地としても重要視された。

深川八幡祭は、深川祭、水掛け祭とも呼ばれ、
毎年8月15日を中心に行われる。
神田祭(神田神社)、山王祭(日枝神社)と合わせて
「江戸三大祭り」に数えられる。
「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と表した。
当社の一の宮神輿は日本最大の神輿とされ、あまりの大きさに1991年(平成3年)に初渡御が行われただけで、以後は神輿倉の展示品として扱われている。

↓切手にもなってました

伊能忠敬先生の銅像もありんす。
江戸時代の測量家である伊能忠敬は、当時深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年(平成13年)に当社境内に銅像が建立された。

↓すぐ近くの深川不動尊にも行ってきたお。

江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まった。
これを受けて、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」(現代風にいえば「秘仏特別公開」)が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。
これが深川不動堂の始まりである。
江戸における成田不動の出開帳は安政3年(1856年)まで、江戸時代を通じて12回行われたが、そのうち1回を除いて深川永代寺が会場となった。

永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。
しかし不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。
境内地は、深川公園の一部を永久かつ無償で借用することが認められたものである
