2月22日のゾロ目ぜよ!
そろそろ冬も終わるぜよ!
江戸でも明治でもないぜよ!
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冬の稲妻/アリス
1977年10月5日リリース
(作詞/谷村新司 作曲/堀内孝雄 編曲/石川鷹彦)

アリスが初めてオリコンチャートのトップ10入りした楽曲。
最高位は8位(78年2月27日付)だが、50.7万枚を売上げ、
1978年の年間チャート16位となった。
TBS『ザ・ベストテン』では、78年2月16日に9位で初登場。
3月2日に最高位5位、年間では78年の29位だった。
【↓うぃきコピ】
アリスは谷村と堀内がヴォーカルを担当するが、メイン・シンガーがどちらかということもないツイン・ヴォーカルで、ともにほぼ対等の立場だった。
72年3月のメジャーデビュー以来、約6年間も鳴かず飛ばずの下積み時代だったが「冬の稲妻」で大ブレイクし、当時黎明期だったニュー・ミュージック界の中心的存在のひとつと見なされるようになる。
無名の活動開始時期は、自他ともにフォークソングのジャンルに分類されるというポジションだったが、ドラムス(矢沢透)が加わっているという点で、同時期のミュージシャンとの差別化を狙っていた。
「冬の稲妻」でブレイク後は、フォークの枠にとらわれることなく独自の世界を展開し、ファンを次第に獲得。曲調は次第にロック寄りになり、バックミュージシャンもエレキギター、シンセサイザーなどを従え本格的バンド編成となり、派手なステージ活動を展開していた。
このように結成時のフォーク・シンガーの路線の枠からは完全にはみ出ていたアリスだったが、1981年の休止ライブでは原点に戻り、コーラスもバックミュージシャンもない、3人だけでの演奏を行った。
全盛期は『NHK紅白歌合戦』に出場しなかった。これは、アリスとしてNHKの番組オーディションに応募したが落選した経緯があるため、「意地として断っていた」とのことである。
海外公演でメキシコに行った際、「日本で今一番売れているアーティスト」というフレコミで観客7万人のフェスティバルコンサートに出演。演奏を行ったものの観客は静まり返ってしまい、ヤケクソで「アミーゴ!」「ビバ!」と叫びながら走り回ったら、観客は多いに沸いたという。