今日は、雨の中、お相撲本場所期間中だというのに(笑)、渋谷のUPLINKに行ってきました。


『望むのは死刑ですか 考え悩む“世論”』
というドキュメンタリー映画を観て、上映後に、長塚洋監督と袴田巌さんのお姉さんである袴田秀子さんのトークセッションという上映会。


佐藤舞さんという犯罪学の研究者の方が、留学先のイギリスでの死刑についての会話で、多くの日本人とは違う考えをイギリス人が持っていることに衝撃を受けたことがキッカケで、一般の日本人にアンケートを取ります。
その中から、政府発表の、存置派8割・反対派2割と同じ割合で135名を集めて、死刑制度について、2日間、審議型意識調査した様子を記録した映画です。


誤解を恐れずに言うなら、前から書いてきた通り事件好きなので、死刑に関する本、事件に関する本を結構読んでいて、サダム・フセイン大統領の絞首刑も、動画で見ました。
時に夢でうなされるくらい、考えているほうだと思っています。

それでも…やっぱり…改めて…、重い。


映画の中で、参加者の方々は、揺れまくる方、気持ちが変わる方、全くブレない方、いろいろいらっしゃいました。
みなさん、その審議型意識調査に参加するまで、死刑について知識不足であることを認識せず、人を殺したんだから死んで償うのが当たり前だ、とか、仕方ない、と思っていた方がほとんどでした。
監督もおっしゃっていましたが、日本では死刑に関して、情報がほとんど出ない秘密主義なので、自分から求めて、情報を集めて調べない限り、当たり前だと、私も思います。

彼らより、ほんの少しの知識はあるとは思いますが、同じように悩み、同じように考え、同じように疑問を持ち…私も、同じです。


あとは、トークセッションで言ってた方もいましたが、自分の子供や家族が被害者になる可能性の話は審議の中で出ていましたが、加害者になる可能性の話が出てないな…と私も感じました。
映像に映っている以外の部分でも、実際出なかったようです。

それでも参加者の方は、自分が死刑について何もわかっていなかったことにちゃんと気づいて、それまでより多くのことを知って、揺れまくろうが、気持ちが変わろうが、最終的に変わらない気持ちに落ち着こうが、悩んで、考えて、迷って、その時点での自分の気持ちを、正直に、素直に、話していました。



映画の中では、審議するために、講師の方も、存置派・反対派、両方の方を招いています。
その講師の1人に、原田正治さんがいらっしゃいました。

原田正治さん。
半田保険金殺人事件で弟さんの原田明男さんを殺された、遺族の方です。
犯人の長谷川敏彦さんからの手紙を、捨てたり、まれに読んだりしていた中で、あるときふと返事を書いたことから交流が始まって、最終的に、死刑囚となった長谷川さんの死刑判決を取り下げてほしいという嘆願書を、当時の法務大臣に提出された方です。
「赦せるはずなんかない、でも命で償ってもらっても、遺族には何も残らないんです。」
その思いは届かず、長谷川さんの死刑は、執行されました。
原田さんの、加害者と交流を持った被害者遺族としての思いを聞いているだけで、胸が苦しくなって、熱くなって、涙が出そうでした。


袴田秀子さんと長塚洋監督のトークセッションでは、貴重なお話がたくさん聞けました。

袴田秀子さんは、とても明るくお話されていましたが、それだけに涙が出ました。
初めて生で聞く、死刑囚にされた冤罪被害者のご家族のお話…。
袴田巌さんが死刑囚とされてから1年半後に亡くなったお母さんの思いも背負って、これからも生きていくとおっしゃっていました。
ほぼ唯一と言っていいくらい、秀子さんが笑みを見せることなく話されたのが、
「私が信じなくて、(弟の巌さんの無罪を)誰が信じるの…そういう思いから、死刑制度は反対です。」
という言葉。
冤罪なだけに、本当に重いです。

帰りに、監督に、映画のパンフにサイン書いていただきました。
そこには、“ともに考え、悩みましょう!”と書いてありました。
いろいろぐちゃぐちゃになりそうだった気持ちが、ちょっと落ち着きました。
ありがとうございます。


混乱したり、揺れたり、迷ったり、頭抱えたりしながらも、私は、いまだに自分の死刑に対する気持ちがハッキリはしていません。

ただ、先日の松橋事件の再審絡みのように、再審が認められたものに対して、検察が即時抗告するような現状では、完全なる存置賛成派になることはないです。
自分たちが間違っていないなら、間違っていないという証明のため、再審すべきだと個人的には思います。
過去に冤罪なのに死刑執行されたと私が考えている人が、少なくとも2人います。
なので、完全には存置賛成派にはなれないのです。


それでも…
その方が、死刑囚となった犯人や死刑制度に対して、どういう思いを抱いているかわかりませんが…
秋葉原事件で、お子さんが犠牲になり亡くなってしまった、昔、同じ会社の同じ部署だった方の前で、死刑の完全な存置派になれないって言えるのか、と問われたら、間違いなく、言えないですね…。
もし、その方が、死刑制度反対派だったとしても、言うまでに時間がかかる気がします。


それでも、無期懲役や有期刑が、刑務所内の態度で仮出所があったり、早く出れたりするのに、死刑のみが絶対に変わることがないということへの違和感も感じます。

もちろん全員ではないようですが、死刑囚より無期懲役や有期刑の殺人犯のほうが、刑務所の職員の前でだけ改心して真面目になったように見せて、上っ面でしか反省してないということもあるようです。

冤罪絡みと、この点が変わるなら、私の気持ちも変わると思っています。


幸い現時点まで、家族の誰も、車の運転で切符切られる程度のことはあっても、逮捕されるような事件の、被害者にも加害者にもなっていません。
でもこれは、現時点までの話。
残念ながら、今後一切、そのどちらにもならないという保障は、全くないと思っています。
明日、1ヶ月後、1年後、10年後…刑務所や拘置所にいるかもしれない。
犯罪を実際に犯すかもしれないし、袴田さんや他の冤罪被害者の方たちのように、ある日突然巻き込まれるかもしれない。

私はその気持ちを常にどこかに持ちながら、これからも何かにつけて考えながら、できれば事件に関わらずにいられるよう願いながら、生きていくと思います。


関係ない世界のことではなく、誰もが関わる可能性のあること。
本当は、目をそらしたり、なんとなくの知識でいていいことではないはずです。