あれから5年経ちました。

岩手出身とはいえ、実家は盛岡で、母親も親戚も無事。
家そのものにも、外壁に小さいヒビが入っただけ。
私自身は、震災時は今と同様、東京にいました。

東京でも、亡くなった方がいらっしゃいます。
この目でも見ましたが、買い占めが起き、東北に工場があった企業では工場の稼働ができなくなり、物資がかなり無くなりました。
でも私個人的には、東京の部屋の何かが崩れたり倒れたりすることもほとんどなく、住む地域も計画停電対象にならず、贅沢さえ言わなければ、何1つ不自由なく、生活できました。


被災地と呼ばれるようになってしまった地域は、5年経っても、1つ問題が解決すれば、すぐまた違う問題が生まれる状況…。
これから新たに取り組まなければならないことも、山のようにある。
どうなることが復興なのかすら、ちょっと分からなくなったりもしますが、それでもきっと元の生活に戻れる日はくる。
あんなに耐えて、我慢して、一生懸命生きているひとたちがいるんだもん。
でも…もうちょっとわがままになってもいいのにな…って思ったりする。



あの日から、仕事には行くけど、仕事が終わった後は、絶対に何の予定も入れない3月11日。
ひとりで、いろいろ考えたいんだよな。






奇跡の一本松。
モニュメントになる前の、防腐処理する前の、全部本物の、一本松。






そして、こんな本日
釜石高校、まさかの、当たらなければ、間違いなく応援していた小豆島と当たるとは(笑)。
笑ってしまいました…(笑)。
釜石高校、甲子園で、精一杯戦ってきてね!!!
応援しまくります!!!