先月の帰省、珍しく家族で一泊、つなぎ温泉に泊まりまして、

その帰り、天気も良かったので、まっすぐ家に帰るのが惜しい!

という話になって、弟がすごく見たがっていた、普代村の堤防を

見に行くことにしました。

岩泉街道を通って、普代村へ。


南部に行ったときもそうでしたが、やっぱり岩手、でけー(笑)。

どこまで盛岡市?とこまで岩泉町?って感じでした(笑)。


途中、トイレ休憩&食事休憩で、三田貝分校の道の駅へ。

分校だったところを道の駅にしたので、いろいろ学校仕様で

面白かったです。

オルガンなんかもあったり☆

食事は、おそばがおいしい!!!と母親と弟が言ってました。

(私はカレーをいただきました)

確かに、蕎麦畑がいっぱい(なかなかキレイ)の岩泉でした☆

土川そばになったり、わんこそばになったりしてるのかな。


いろいろ購入して、また出発。




しばらくして、初めて映像の中じゃない仮設住宅を目にしました。

なんか、理由もよくわからず、涙が出ました。

テレビで見るより、ずっとずっと小さいことが、外から見てもわかります。

南部に行ったときに目にした仮設住宅もそうです。

プレハブの小さな仮設住宅…。

空気がこもって夏は暑く、薄い壁は冬は寒いはずです。

音も響くと思われます。

そして、いくら車社会とはいえ、便がいいとは思えないところ、

冬は雪がすごいんじゃないか…と思われるところにも、

たくさん仮設住宅が建っていました。




いろんなことを思いながら、しばらくたって、普代村に到着。


普代村は、15.5mの堤防が、守ってくれた村です。

写真撮れなかったので、ネットから拝借したものを貼り付けてしまいます…。

小さい写真ですが…。



どすコのつれづれ。

写真右上。

高い堤防の向こうにおうちが見えます。


どすコのつれづれ。

船を見に行った方が、お1人行方不明ですが、

死者0人です。

なんと、住宅への被害も、0件です。

写真で見ても、無傷なのがわかります。



どすコのつれづれ。


今年2月の水門らしいです。


その昔、和村幸得村長が、そこまで高い堤防は必要ない!!!

とありとあらゆる方面から、強い反対に合った堤防建設。

そこまで高い堤防、必要でした。


私と同世代以上の、特に岩手の方なら「あー、あの頃ね。」と

おわかりいただけるかと思いますが、

工藤巌知事で、鈴木善幸総理の頃の話らしいです。

岩手に住んでいたのに、そんなことがあったなんて、

全然知りませんでした…。

予算を出すために、鈴木善幸も動いたらしいと弟が言ってました。

さすがです。

和村村長は、もちろん普代村出身、

鈴木善幸は、山田町出身。

山田町も被害が大きかった、海の町です。

ちなみに、その昔農林省だった今の農林水産省に「水産も大事だ!」と

『水産』を加えるように動いたのは、鈴木善幸らしいです(弟談)。

水産、大事ですから!!!!!


堤防も、水門も、車の中からですが、見ました。

はじっこは崩れている部分ももちろんありましたが、

しっかり立っていました。

どれだけ反対されても、非難されても、よく建ててくださったと思います。

多分、これ以上のものはない置き土産を、してくれました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%9D%91%E5%B9%B8%E5%BE%97

すでに亡くなられている和村村長は、あっち側の世界で、

村がほぼ無事だったことに、ホッとされてると思います。

高い堤防、大反対に合いましたが、普代村を守ってくれました。

広い作りで、贅沢!!!と言われていた聖路加病院は、

地下鉄サリンのときに、どこよりも多い被害者を受け入れました。

そろそろ、私たちは、学習しなければいけないと思います。



次は、南隣の田野畑村へ。

ここには北山崎という、とってもキレイなところがあります。

夏はほとんどやませの影響で、霧だらけなそうなんですが、

この日はスッキリ晴れ(写真は若干もや~んですが…)!!!

遠くまで景色が見えました☆

地元の方も、夏にこんなに見える日は珍しいって言っていました。

ホントね、冗談抜きで、日本一の景観ですよ!!!

むちゃくちゃキレイでした☆


どすコのつれづれなるままに…。


どすコのつれづれなるままに…。

第1展望台から、第2展望台に行く途中の景色です。

景色がキレイに見える第2展望台に行くまで、長い長い長い階段を

下りていきます。

350~360段くらいあったと思います。

…戻るときはそれを上るワケで(笑)。

汗だくだくでした(笑)。

でも、だくだくになったかいがありました。

その倍の階段を下りると、海辺までいけるようですが、

今は震災の影響で、通行止めになっていました。


通行止めじゃなくなったら、絶対、海辺まで行く!!!

そして次回は、サッパ船に乗る!!!


どすコのつれづれなるままに…。

↑写真ほぼ中央(ちっと左寄り…)、岩と岩の間の白い点が、サッパ船です。



次は、鵜の巣断崖へ。


どすコのつれづれなるままに…。

崖崖崖…。

あーもう、もっとキレイだったのになぁ…。

ここも、ものすごくキレイに見えたんですよ☆

いろんなことを考えながら、この景色を見ました。


他にも、黒崎灯台や、北緯40度のシンボルタワーも見ました☆


どすコのつれづれなるままに…。


どすコのつれづれなるままに…。

しかし…私はナゼ、このシンボルタワーの全体像を

撮らなかったんでしょう?

黒崎灯台も。

アホです。



どすコのつれづれなるままに…。

こんな記念碑も。

伊能忠敬測量記念碑。

うちの家族の影がちょいと写りこんでますが…。



そして、宮古市へ。


実は、弟が昔、宮古市住民でした。

今は辞めて埼玉県某市におりますが、大学卒業してから、

岩手県庁で働きまして、そのときに宮古の土木課に

配属になったワケです。


ものすごく気になっていたようで、知っているところでもあり、

市内をあちこち車でぐるぐるしました。

津波の被害が大きいところももちろんあって、

「なくなった…。」とつぶやいているところもありましたが、

弟が住んでいたアパートは残っていました。

「おー!この飲み屋残ってた!!!」とか、

「ここで忘年会やった!!!」とか、

被害が少ない場所では、弟は独り言大王になっておりました。


そして、弟が宮古にいた頃に、実家のある盛岡と

毎週行き来していた宮古街道を通って、盛岡に帰ってきました。


やっぱり、2年ですが、住んでいたんで、詳しいんですよね。

仕事柄、沿岸の町や村も、あちこち車で動いていたようなので。

カーナビのない車なのに、よくいろいろ回ってくれたと思います。

北部・南部ともに、結構なガイド役になってくれた弟でした。



ちなみに…書き忘れましたが、南部に行ったときの山田町。

むぉ~んと沿岸近くの山を包む、霧が見えました。

山田町手前までは、34度とか道路に気温の表示が出ていたのに、

山田町に入ったとたん、その霧=やませのために、

25度表示になっていました。

南部に行った日に北部に行っていたら、北山崎も、鵜の巣断崖も、

真っ白だったかもしれません。


やませ…。

その昔、農作物に良くないって勉強した記憶があります。

今年はいろんな作業をされている方や、仮設住宅の方たちは、

助かったと思われます。

実際、地元のニュースで、ガレキになってしまったものの山を

片付ける作業をしていた女性の方が、やませが来てほしいって

言っていました。



冬だけじゃなく、夏も厳しい、岩手です。