さっきのブログにも書きましたが、お能がだいすきなんです。


ある方から招待券をいただいて、喜多流のお能を観たのが最初。


そのとき、『石橋』(しゃっきょうと読みます)を観て、

激烈にはまりまして(笑)。

これは、歌舞伎の『連獅子』みたいなものです。

初心者がすきになる曲と言われているようですが、ホントにこれで

すきになって、ひとりでも国立能楽堂とかに行くようになりました。


さっきは、世界最古の舞台の芝居のようなものと書きましたが、

1つ1つの話は『曲』と言い、芝居するとは言わず『舞う』と言います。


お能というのは、シテ方が演じる主役の多くが、生きてる人間ではない

というところに特徴があると思います。

神・この世に思いを残して死んだ亡霊・鬼・精が多いのです。

そういうものを演じるシテ方が、面(おもてと言います)をつけている…

っていうだけで、私なんぞはゾクゾクします(笑)。

もちろん、直面(ひためん)といって、面をつけない曲もあります。

ちなみにシテ方の相手役であるワキ方は、面をつけませんし、

生きている人間を演じます(僧侶多し)。


1つの曲が、なんとなく3部構成的になっています。

(大きく分ければ2部ですが)

前場・中入り・後場とあります。

前場では、シテも面をつけず、人間の姿として現れます(が多いです)。

そして、ワキに自分の身の上を話したりして姿を消します。

ここで中入となって、ワキ方と囃子方、地謡方のみで話が進行します。

その後、面をつけ、本来の姿でシテが出てきて後場となります。

大体、1つの曲が1時間半くらいでしょうか。


正面には囃子方が、向かって右より、笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方と

並びます。

その後ろには、後見人の方が並びます。

向かって右手には、地謡方が2列(が多い)で並びます。

柱がありますが、面によってかなり視界を遮られたシテ方が、

その柱を目印に、自分の位置を確認し、舞台上で舞います。

そして、向かって左には、揚幕があり、その奥には鏡の間という、

シテ方が面をつける部屋があります。

後場になって、揚幕が揚がって面をつけたシテが見えると、

それだけで心がうぉーーーーー!!!!!となります(笑)。

このときにかすかに見える鏡の間も、舞台ですね、もう(笑)。


そして、面をつけていても、表情があります。

笑ってるように見えたり、泣いてるように見えたり、

観たことない方には、「うそ~ん…。」と言われますが(笑)、

本当にそう感じるんです。

角度の問題もあるようですが、すごく不思議な感覚になります。

だから、文楽に興味があったり、辻村寿三郎さんとか、

川本喜八郎さんとかの人形に興味があったりするんでしょうね。

(川本喜八郎さんの人形は表情を変えられますが)

人形にも同じような感じを持つことがあります。

明かりは、芝居で言うなら、地明かり。

明かりでの演出は一切ありません。

白熱灯の部屋の明かりのような、変化の一切ない明かりです。

もちろん、音響機材なんて、使いません。

耳に届く音のすべてが、声や楽器からの直の音です。

(薪能は外で行われることが多く、その限りではないようですが)


装束や扇も、ものすごくキレイで、ため息が出ます。


やっぱり『石橋』や『土蜘蛛』『道成寺』あたりは見所がありますし、

『弱法師』などもなかなかオススメです。

最初は、乱能も面白いかもしれませんね。

シテ方は一生シテ方、ワキ方は一生ワキ方というのが、お能の世界。

それが、時には関係なく、やってみたいものをやってみよう!

っていうのが乱能です。

普通のお能とは全く違って、笑えて面白いです。

舞台上の方たちも、楽しそう☆


そして行く日の曲目を見て、行く前にどういう話なのかを

ネットなり本なりで、予習して行ったほうが、世界に入っていきやすい

と思います(当日、あらすじを書いたものももらえますよ)。


ぜひとも、世界無形文化遺産のお能を、

世界最古の舞台芸術を、

一生に一度でいいので、ご覧いただきたいと思います!!!

お相撲と一緒。

敷居が高いなんてことはありません。

演じている間にだけ、声を出さずに、じっとその幽玄の世界に

浸っていればよいのです。


幽玄の世界というものがどんなものなのか。

これはお能でしか体感できないと思います。

幽玄の世界へ、ぜひ。