あんまり眠くないんすよ…。

で、お相撲も近いので、久々に心に残るシリーズ(笑)。



昭和後期の、角界のハンサムと言えば、貴ノ花(お父さん)、

若乃花(二代目)、寺尾、益荒雄、霧島、若島津、北天佑…

いろいろいましたが、忘れてはいけないのが千代の富士でしょう。

お相撲がすきじゃなくても、千代の富士はすき!って人が

まわりに多かった気がします。


でも、北天佑ファンだった私は、千代の富士と北天佑の取組は

北天佑を応援していました…(笑)。


でもでも、大銀杏も横綱土俵入りの四股も、ものすごくキレイでした。

塩の投げ方も特徴がありましたが、見事、弟子の千代大海が

ひきついでおります(笑)。


そして、千代の富士というと、私的には「投げ」が印象に残ります。

ホント強烈でしたね。

そりゃぁ、あの身体であの筋肉じゃないと、脱臼もしますって。

投げる瞬間、動かなくてももりっ!の肩甲骨のあたりの筋肉が、

更にもりっ!となるんですよ。

そのもりっ!具合が、やっぱり1番すごかったです。

お相撲を観てない時期もありますが、あそこまでもりっ!の

お相撲さんはいないんじゃないでしょうか。


千代の富士は、カッコいい~☆と騒がれていたこともあって、

最初はあまりすきではありませんでした(笑)。

すきになったのは、お子さんを亡くされてからでしょうか…。

それでも土俵に立った千代の富士。

初代若乃花の二子山さんもお子さんを亡くされて、首に数珠かけて

場所入りしたって話を知って、「お相撲さんって、なんて苛酷な仕事

なんだ…」って思った記憶があります。


千代の富士が引退したときは、1つの時代が幕を閉じたような

気がしましたね。

「体力の限界。気力もなくなり、引退することにしました。」

のあの姿は、忘れられません。

誰の引退会見より、残ってます。

まだやれたんじゃないか…と誰もが思ったと思います。

そして、一代年寄の辞退。

何でーーー???と思いましたが、お世話になった九重を

継承したいと思ったという言葉は、泣かせてくれました。


そして、千代の富士といえば(?)、保志(笑)。

後の横綱北勝海ですね。

すみません…私の中では、北勝海というより、保志なんです(笑)。

保志のあのねばりのある相撲と顔がめちゃめちゃ大好きで

たまらなかったんですが、この保志が、

「自分が横綱になれたのは、千代の富士さんのおかげです。」

って言ってました。

ホントにものすごい稽古だったようで…。

さすが国民栄誉賞力士と弟弟子!

優勝決定戦もしましたよね、同部屋で。

千代の富士が勝ったはずです。


とにかく強いというのを植えつけてくれた横綱でした。

広報部長、がんばってください。

カレンダー買いに広報部に行ったら、いたりするのかなぁ。

(今年のカレンダーを買いに行ったときは、前の広報部長の朝潮が

いちばん奥に座っておりました!)


またまたハンパな感じで終了ですが、

次回、平成の大横綱、貴乃花編でお会いしましょう(笑)。