娘1の宿題で、
人権標語を書け。


というプリントに


何故か、
保護者用の欄が設けてあった。



子供の頃からだが、
ど~も、
この「人権」という言葉に
アレルギーを起こしてしまう私。



今はどうだか知ら無いが、
私が習った授業は、



こんな可哀想な事がありました。
ね、
めちゃくちゃ可哀想な人でしょ。
そう思うでしょ。
助けてあげなきゃ駄目でしょ。
誰が悪いのかしら。
あいつに違いない。



と。
そう言っている授業のようで。
なんともモヤモヤ。
で、
どうしても好きになれ無い授業であった。



今になって、
そのモヤモヤの理由が分かる気がする。
一方通行なのである。



もちろん、
考えなければならない事である。


だだ、
片方に偏ったものの見方を教えていたのではなかろうか。

結果だけを誇張し、

そうなってしまった経緯や、背景にある歴史。
その時代の考え方や文化。


そんなものを全て見せずに、
可哀想な結果だけをクローズアップ。



誰が悪い。
そんなことを議論しても仕方ない。


その時代、
その場所、
その人達、

そこに居なければ分からない事情がある。



事実を事実として教えて、
誰かの主観を押し付けるような授業をしてはならない。
あくまでも、
判断するのは個人に任せて頂きたい。




とまあ、

何故私が「人権」アレルギーなのかを
興味無い素振り全開の
娘1にしながら、



保護者用の欄に苦手な
「人権標語」をウンウン言いながら絞り出した。


ら、



おおっ⁉
意外に良い出来。



普段は辛口の父も、
なかなかいい標語だとうなった。

何か賞でもとれたら、
「人権」アレルギーも治るかも。



へへっ。