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『小笠原真紀子フラメンコ教室』


朝の午前9時。

テウィ夫人はそこのスタジオを借り

切って、フラメンコを踊っていた。

夫人はとても上機嫌だった。


今までずっとCDをバックに踊って

来たテウィ夫人だったがそこで

夫人は生バンドをつけて踊って

いた。

それもあって夫人はこのところ

とても上機嫌、踊りの熱も入ろうと

いうものだった。


しかしスペインから演奏家を招聘

するという話は結局お流れに

なった。

というのも夫人が招こうとして演奏家

が超一流どころだったためで

そもそも最初からそんなことは実現

不可能な話でもあった。


夫人が今、気持ちよく踊っているバックで

カホンという打楽器を叩いてるホセという

男がその交渉役に当たった。

その時、彼は高橋からギャラの方は

いくらでも払うと前提で交渉してくれ

という指示を受けた。

そしてあるギタリストと交渉に当たって

いた。

そのギタリストにはホセから何度もメール

を送り、しかし返事はなく、そして最後には

何とかその居場所を突き止め、電話で

直接交渉することになった。

そこでホセは金ならいくらでも払うからと

日本に来てくれるように電話口で懇願

するように頼んでみた。

するとこのギタリストは烈火の如く、激怒

した。

『金の問題じゃない、私にも演奏家として

踊り手を選ぶ権利がある』

そのギタリストはそう言った。

彼は以前、テウィ夫人の私的なパーティー

に呼ばれ、一度彼女のバックで演奏した

ことがあったのだ。

そんな彼から言わせると夫人のそれは

とてもフラメンコなどと呼べるシロモノでは

なく、彼のプライドが夫人のために演奏

し、ギャラを受け取ることを許さなかった

のだ。

『冗談じゃない、あの夫人には中国の広場

で老人達が舞う、あの体操みたいなヤツ

あっちのほうがお似合いって、もんだろ!!』

彼は太極拳のことが言いたかったのだろう。

そう言うなり、受話器を一方的に切ったの

だった。

ホセもこの話を聞き、そのギタリストの言い分

は極めて当然、という考えに至り、その後

スペイン人演奏家との交渉を即刻打ち切る

ことにした。


高橋はその話を聞いて、ラテン気質でいつも

の陽気だというイメージのあるスペイン人を

買いかぶっていたところもあり、もはや

このまま成す術もないのかと、頭を抱える

ことになった。

しかしホセがここで打開策を高橋に持ちかけ

たのだった。


ホセは自分が出入りしているフラメンコ教室

にテウィ夫人を連れてきて、生バンドを

バックに一度踊ってもらえば、どうだろう

と提案したのだ。

その際、演奏家はホセ以外、日本人演奏家と

いうことになる。

『夫人は、バンドは全てスペイン人で固めない

と納得しないぞ』

不安をもらす高橋であったが、ホセはとにかく

この小笠原真紀子フラメンコ教室にテウィ夫人

を連れて来ればいいと言うだけだった。


ある日、テウィ夫人はそのフラメンコ教室に

連れてこられ、そして日本スペイン混成の

生バンドをバックにフラメンコを舞った。

その快楽たるや、近隣からの苦情もあって

携帯音楽プレーヤーのヘッドホンから流れる

音楽を耳に踊ってきた身からすると、それは

計り知れないものがあった。

午前中誰もいない広いスタジオで、生バンドを

バックにフラメンコを踊る。

セレブだからこそ、こんなことが出来るのだ

というそんな感覚もテウィ夫人の心を刺激して

いた。

こんなこともあって、演奏家は全てスペイン人で

固めると言う、夫人のこだわりはいつしか

消え去っていったのである。


しかしここにもどかしい思いで彼女の踊りを

見つめていた人物がいた。

それこそが夫人に自分のフラメンコ教室を

提供した小笠原真紀子先生であった。


小笠原先生は初めてテウィ夫人がやって来た

日にフラメンコ教室の空間を提供する、その

責任者として、そこへ赴いていた。

そして生バンドをバックに踊り舞う、夫人の姿

を目撃した。

彼女は夫人のそれを見て、大変な衝撃を

受けた。

全く言葉を失ったのだ。

(これがフラメンコ??????????)


かつてはスペインにも在住し、その本場

切磋琢磨した日々を過ごした小笠原

真紀子先生。

そんな彼女の前で芋虫が蠢いている

とも言えるような光景にはどうにも耐え

難いものがあった。

小笠原先生はそっと教室を後にした。

その様子を高橋は見つめていた。

何ともそれは気の毒な光景でもあった。


この日もテウィ夫人はというと、ドタバタと

手足を落ち着きなく動かす様、それは生

バンドであろうが携帯プレーヤーからの

音源であろうが、その踊りは全く変わる

ところはなかった。


ともあれスペイン人演奏家問題は解決した。

しかし『新宿大舞踏祭』の開催はこの期に

及んでもまだ白紙に近い状態に変わりは

ないのだった。