「船山神社の旧社跡」の「白山神社(平群町福貴)②」の掲示板に記されている小森神社跡へ行って詣りました。結論から言わせて頂くと、現在も崇敬されているようですので「跡」と記すことは厳密には誤りです。但し、神社明細帳には記されていませんので、恐れ多いですがあえて跡を附させて頂きます。
本殿と燈籠と、鳥居の跡が残っています。
榊でしょうか。祀られていました。
本殿です。祭神は、白山神社と合祀されているということは、伊邪那岐命と伊邪那美命、または、そのどちらかであると考えられます。地元の方に聞くと「伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦だ。」と、夫婦円満の神様のようにおっしゃっておられました。
但し、「へぐりの里の歴史<上>(平成2年発行)」には、水分神(みくまりのかみ又はみこもりのかみ)と記されており、その名が転じて小森(子守とも書く)神社となったそうです。(参照 ⇒ 子守神社・水分神)
左右に狛犬の足が、見えています。
へぐりの里<上>の29ページ。
向かって右側の狛犬です。
燈籠です。何か文字が彫られていたと思います。削られた跡のようです。
鳥居の跡です。
入口にありました。「南無青面金剛童子」と読めます。
両方、同じ文字が記されてありました。
さて、ここで明治に合祀された水分神は、なぜ白山神社に祀られていないのか、地元に詳しい長老のおじいさんに聞いてみました。すると「元々、垣内ごとに氏神様を祀っていた土地なので、粟坪垣内の子守神社を見ていただいても分かると思うが、合祀によって祠をなくしてしまおうという考え方が、元から無かったと思う。なので、白山神社に水分神が祀られなくてもどうでも良かったのでは。」ということでした。
場所は、平群町役場から総合スポーツセンターに向かって坂道を上って行き、総合スポーツセンターの30m程手前の右側にある竹藪のなかに入って行くとあります。
見て頂いて分かると思いますが、草一本生えていません。綺麗に管理されています。
平群町史(昭和51年発行)の654ページに、平群町の神社跡としては唯一掲載されています。
余談ですが、森垣内の中心に燈篭を発見しました。神社との関係は、不明です。
さて、「船山神社の旧社跡」から、このブログにわたって平群町の神社を掲載させて頂きましたが、最後に、三重県桑名市(伊勢国員弁郡)ではありますが、豪族、平群氏の祖である木菟宿禰(づくのすくね)を祀る平群神社とその特選神名牒を貼らせて頂いてこのブログの最終回とさせて頂きたいと思います。
「平群神社(桑名市志知3693)」 ・ 「平群神社の特選神名牒」
なお、平群神社の明治9年に完成した特選神名牒には「村社」と記されていますが、明治33年「郷社」に格上げされています。
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