先のエントリーの続報です。


 先のエントリーの補足で紹介した、「検察が警察に再捜査を指示したという情報が、矢野穂積氏のデマである」という情報は、断定はできませんがどうも本当のようです。当方が情報源から得た話は、概略、次のとおりです。

 

 東村山署は、故朝木明代市議の自殺後も万引き事件のアリバイを証明せよと矢野市議らに言っていたらしいが、矢野市議がそれを拒否。でも嫌ですじゃ済まないから、東村山署は矢野市議に張り付いて「証明を~証明を~」と言い続けたらしい。で、矢野市議がその辺を理解して故意に捻じ曲げたのか、それとも本当にそう思い込んだのかは分からないが、いつしか「再捜査の指示があって警察がまた調べ始めた」という話にしてしまった。


 すみませんが、約束により情報源は明かせません。くどいようですが、断定はできませんので念のため。


 そういえば、11月16日の「「政治と宗教を考えるシンポジウム」第三弾に「怪死」を執筆された乙骨先生がいらっしゃるようですので、瀬戸センセー、白黒をはっきりさせるために、乙骨先生に直接聞いてみて頂けないでしょうか?そうすれば、こちらも色々調べる手間も省けるので手っ取り早いですし、瀬戸センセーとしても、「現職警察官の内部告発」の信憑性を確かめるいいチャンスじゃありませんか。


 まあ、何といいますか、東村山市民新聞、乙骨氏の著著「怪死」、及び矢野氏の著書「東村山の闇」は、どの一行も疑ってかからなければならないということが、身に染みて分かりました。これは、まとめWikiを作成する上で非常に参考になりました。まとめWikiでは、これらがソースである部分には特別な注を付けることにします。


 ちなみに、私がだまされた(かもしれない)「怪死」の記載部分は、以下の通りです。


 昨九五年十二月二十二日に朝木さんの死には「事件性はない」と断定、その捜査結果を記した報告書を東京地検八王子支部に送った東村山署だが、東京地検八王子支部の事件担当検事は、報告書の内容がずさんであることを理由に再捜査を指示したとの情報が今年三月に入って流れた。


 この情報は、三月二十日付『東村山市民新聞』第73号が報じたもの。「議員殺害事件 警察に捜査やり直しを指示」「あんな『報告書』は通用する方がおかしいのです」との見出しの記事には次のようにある。

「昨年十二月二十二日、東村山警察署は、『朝木議員殺害事件』で東京地検に、『事件性は薄い』とする『報告書』を提出、捜査を打ち切る発表をマスコミに行った。

 ところが、東京地検はこの東村山警察の『報告書』をうけとったが、疑問点があるので、再捜査を指示していたことが判った。

 しかも東村山警察は、『自信をもって、書類送検した』と豪語した昨年六月の『万引き』捏造事件についても、検察庁から再捜査を命じられている。

 東村山警察の刑事課長は、今年三月に、草の根・矢野議員に『捜査に協力して欲しい』とすがりつくような態度をとっている。

 フタをすることができるような『事件』ではない」


 矢野氏によれば、東村山署から矢野氏に再度の事情聴取の要請があったのは、三月五日のことだという。

「建築紛争の件があり、東村山署を訪問、警備課長と話をして、帰ろうとしたところ、鶴見刑事課長と白石課長補佐がドアの外で待ち構えていて、『矢野さん、ちょっと上に来てくれ』という。議会中で多忙だったし、アポイントもなしの突然の申し出だったこともあり、断ると、『なんとかお願いします』と、まるですがりつくような態度。仕方がないのでついていくと、白石課長補佐が、『これから調書を取るので、六月十九日の足どりについて話してほしい』と切り出してきた。七月十二日の書類送検前には、いくらでも時間があったのに、事情聴取をしようともせず、『矢野はアリバイ工作をしている』などと『潮』に話しているにもかかわらず、突然、話を聞きたいという。そこで、『万引きを苦にして自殺と報告したんだろう、なんでいまごろ話を聞きたいんだ』と質したら、言葉を濁したが、地検から再捜査しろといわれているような口ぶりだった」


 この東村山署の事情聴取の申し入れと、ほぼ時を同じくして矢野氏は、東京地検八王子支部の事件担当である信田昌男検事を取材した全国紙記者から、同検事は、東村山署の報告書には疑問があるので調べさせるというニュアンスの発言をしていた事実を知らされる。

 この全国紙の記者は、二月初旬に地検で信田検事と次席の千葉検事に取材を行っているが、その際、「十二月二十二日の東村山署の報告書には、疑問点がある」との話を聞いている。


「東村山署の動きと、担当検事の発言を根拠に、『東村山市民新聞』に『再捜査』との記事を掲載しました。これに対し東村山署は、『東村山市民新聞』が発行された翌二十一日に、刑事課長が電話をかけてきて、『こんなこと書かれては困る』と抗議。議会最終日の二十二日には、市役所の出口に刑事課長と新任の課長代理、そして刑事が待ち構えていて、『署にきてほしい』という。なんとか訂正させたいという感じでした」(矢野氏)