僕は10歳頃までいわゆる「ガキ大将」、いつからか周囲の評価や目が気になりだして気づいた時には「優等生」になってしまった。

テストでいい点数とって、スポーツテストも満点、通信簿は「オール5」。

父親は喜んでいたが、母親には常に「テストや通信簿なんかいくら良くても偉くなんかない、そんなことより人間性の方が大事なんだから。」

今、思い返すと母親に認めて貰いたくてその後も必死に周囲の評価のために「いい子」であり、「いい人」になってきた。

進学して、国家資格も取って就職。

でも、そもそもこの自分って本来の自分じゃなかった。

母親は「周囲の評価なんかではなくて、僕が自分らしく生きられているか、そして自分らしく生きてほしい。」と、思って見守ってくれていたのかなと、今は感じる。

就職先の上司は超高圧的、僕は恐怖で全て言いなり、どんな理不尽なことにも従った。
自分の意見を言おうものなら怒鳴り散らされ、減給をちらつかせてきた。

でも、感謝もしている。
仕事に関していいも悪いも得られたものは大きかった。

約10年間、自分を殺してきた。

今、振り返れば上司に完全に洗脳されていた。

結婚相手も上司に紹介され、断ることなど当時の僕には許されなかった。

結婚後、妻は表向きは「いい奥さん」だったとは思うが、
家では僕の職場の愚痴、上司の愚痴、あげくの果てには僕の給料の愚痴まで漏らした。
給料は妻が働かなくても十分に生活できる。
自分で言うのも何だが、世間様から見たら高収入の部類だったと思うのに。
そして、僕の両親の愚痴までも…。

妻との間に子供ができた。

妻の子育てにも悩んだ。

まだ3歳の子供に対して、大人にするほどのビンタ、暗室への閉じ込め、おもちゃやおやつの取り上げ、など虐待と思わざるを得ない状態。

そして、外ではブランド物を身につけ、ひけらかし行為をする。

仕事も家庭もいっぱいいっぱいだった。

約10年が経った頃、ついに自分自身が崩壊した。

眠れない、食べられない、体が震えて息がうまく吸えない、胸が痛くて息が吸えない、言葉が出ない、背中が痛い、
限界だった。

妻へ退職の意志を上司へ伝えることを話した。

上司へ退職の意志を伝える前日、家に帰ると妻と子供、そして荷物、現金、通帳、全てが無くなっていた。

そして次の日、上司へ今までの感謝とともに退職の意志を伝えた。

妻は僕名義の通帳も入金されるものは全て持っていき、引き落とされる通帳のみ残されていた。

過呼吸なのか、息が吸えないのか、発作なのか、体がおかしくなった。

両親に看病してもらい、精神科へ。

僕の人生が一瞬で崩れ、うつ病とのお付き合いが始まった。
もう1年前の話。

でも、自分らしく生きていく再スタートのチャンスを得た。
と、今やっと思えているが、発作も震えも抑うつ状態もまだまだやってくる。

カウンセリングで、「今まで自分を押し殺してきたのだから、今はわがままに、自分勝手に生きなさい。」と言われるが、実際にそうできないから困ってるんだけどなぁ。

やっと文章が書けるようになってきたから、体調のいい時にまた書きます。

ちなみにこの文章作るのにも1週間かかってる。
まだまだですねー。