今の恋人の事を話すと、身内は、
「(私)がもったいない」
って言う。
私はとても落ち込む。
早々に介護になりそうだとか、ろくでもない男だとか。
そうなのかな……って考えてしまう自分に気づき、自己嫌悪する。
大人の言う事は、私にマイナスを植え付けるだけに過ぎない気がしてしまう。

親の言う事に従ってきた自覚はないが、
お金に苦労する両親を見て、お金に対してコンプレックスを持って育った私は、
とにかく親元から離れて、その後は金銭的な自立がしたくてしたくてたまらなかった。

もし金銭的な制限がなければ、美大に行きたかったかもしれない。
んー、でもきっと絵の方は、「できないのが嫌で最初からチャレンジしなかっただけ」パターンかもしれない。
私はそういう所がある。
できない(と思う)ことはやりたくない。
美大に行かなかった事に関しては、金銭面だけではないかもしれない。

金銭的な自立が果たせた事を考えれば、
T大学に入り、心理学なのに「実用的な」分野に目をつけて、その狙い通り
推薦で就職先に引っ張られたのは、成功だったと言える。

その先で失敗してしまった。
A friend of mineにタイトルのように言われました。

休職をきっかけに、何でこうなったかなぁって、
毎日毎日欠かさず意識せずともその思考の部屋に入る。

生理始まって間もないからか、今日今この瞬間は、幸せになりたいとも思っていない。
このネガティブから、抜け出さなきゃとか抜け出したいと思っていない。
ネガティブと遊んでいると、時間はいくらでも過ぎていく。

そういう時もあれば、前向きな時もある。
何でそんなネガティブな思考に囚われてしまうのか、と不思議になるくらい。

自分の気分の移ろいに、その振れ幅に、
イライラ気分が発生してから、諦めをつけるまでの時間がだんだん短くなってきた。
訓練しつづける筋肉のように。
反射から反応までの時間が、だんだん短くなってくる。

訓練と筋肉と言えば、衰えを痛感している能力が一つある。
スケジュール管理ができない。
日付感覚をなくして生活しているので、
一週間前にとった夜行バスの予約を乗り過ごすとか、
あと何分で出ないと遅刻なのに、時間間隔が鈍って気づいたら遅れてしまう、とか。
何気なくやっていたけど、訓練しないと衰えるものであることが、
できなくなってわかった。
全然健康です。
根拠として、2つの自覚がある。
「健康だ」という自覚と、「これ以上休んでも得る事はない」という自覚。

けど、自信がなくて、しばしば揺れる。
反省して、何か今後の戦略を考えるべきなのか、それとも、自分の好きなことをして過ごせばいいのか。
けど、今はきっと、反省できない。
反省のつもりが、自己嫌悪にシフトして、頭の中が曇っていくから。
だったら、頭の中を真っ白にして、お絵描きしている方が、健康なのかなって。
目をそらそうとしてもそらせない。
しかし、とうてい直視できない。
そうして意図に反してネガティブを弄んで、結果としてただ徒に自分を傷つけるだけなら、何も考えない方が健康的だと思う。
それでも、考えずにはいられない。
それなら、不可抗力で考えてしまうなら、少なくとも意識的には考えまいとしている。

精神科の先生が、今の私の状態は「挫折(と私が捉えている)」だと教えてくれた。
また声を上げて泣いてしまった。
ぼろぼろ涙零して……拭おうと思ったら手元にハンカチがなくて、涙が顔に転がり落ちるままに任せた。

先生は、「この経験を挫折と捉えるか、転機と捉えるか」とも言った。
これまでのあり方にしがみつく限り、挫折だと思う。
同じやり方だと、バカでもわかる。また同じ事の繰り返し。

何だか色々不安。


> 全然健康です。
> 「健康だ」という自覚と、「これ以上休んでも得る事はない」という自覚です。
よくよく考えると、後者は健康の根拠にならないような……。
なんか含みがある自覚だな、とも思います。

大阪に帰る直前、母親と少し重たい話をした。
話をして、大阪に帰ってから十日間以上ずっと連絡をしなかったから、母親はその話のせいで私が連絡しないのでは、と思っていたみたい。
そうではなく、また抑うつ気分に陥り、それは面談から数週間、復職について不安が高まった事、焦った事によると説明した。
連絡をしなかったのは、実家で過ごし両親と一緒にいる事により「心配かけまい、早く復職せねば」という焦りが生じていた事で葛藤していたから、という事を伝えた。
わかってくれた。
旅行することになった。
親が連絡を喜んでいるのが、電話越しに伝わって、何とも言えない、大体は有難い気持ちになった。

大阪に帰る直前、私は情緒不安定の兆しを感じて迷ったけど、結局飲みに行った。
で、案の定飲みすぎた。
それがトリガーになった。
天井を見上げて、
「仕事も、恋愛も、結婚も子育てもきっと上手くいかない→上手くいかなかったら夫にも子供にも同じ仕打ちをしてしまう→もう死ぬしかない」
と典型的な思考に陥って、抑うつがぶり返した。
酒はよくない。
よくないけど、少なくとも今回は単にトリガーであって、その時はそれまでに不安が十分に高まっていた。
その理由は、その数週間前の面談にあった。割愛。
そこから大阪に帰って、三四日は苦しくなったけど、会社の人事に電話し、「何で私がこんな目にあうのか」の1%濃度の事を伝え、人事との面談は延期し、メンヘル担当の方との面談をお願いした。
前進の働きをし、「一年掛けるつもりで臨もう」という考えに辿り着いた時、また楽になった。

大阪に帰る直前、母と話したのは、昔の事についてだった。
やはり不安が強くて「どこに行っても私はこの性質のせいできっとうまくいかない」と言って泣いた。
そこから少し話が移り、私の小さい頃の話になった。
小3の頃から私はひねくれた自覚があり、それは家の事情と繋がると思った。
私が、家か外か問わず、色々な事に眉間にしわ寄せる思いをし始めたのは、小学校3年生の頃からだった。
知恵がついての反抗期というより、今に至る葛藤の種が既にできていた。
学校の先生がかなり厳しく、一度濡れ衣で怒られた事があった。
いつまでも責められて、らちが明かないから、結局泣いて謝った。
泣けば許される、泣いて謝ればこいつは満足するんだろうって思って、やってもないのにやりました二度としませんと泣いて謝った。
その頃から、人なんてこんなもんだ、と思って、8割がた失望した。
数年前、「その頃から、家が苦しかったんじゃないか?」と尋ねた時は、「いや小5くらいじゃないか」、との答えだった。
でも今回、やっぱり小3の頃からしんどかったと教えてくれた。
そこからは、私も泣いたけど、母がそれ以上に泣いた。
泣いて然るべしな内容だった。
私もうつ病で寝たきりになりたかった
私もそんないい先生にもっと早く会いたかった
子供連れて逃げろと言われた
肉親に迷惑を掛け、母の……とか。
ずっと、推して知るべしな態度だったから、そういう事だとは思っていたけども、そうした事を両親は直接は見せなかったため、今回初めて聞いた。
それを聞くと改めて親は私たちをよく育ててくれたし、私もよく育ったなと思う。
レ・ミゼラブル。
映画館でも観たけど、レンタル始まったからうひょーって借りてきた。
映画館で見たときには、私の、ジャベールへの深い共感が印象に残った。
「そんな考えだと死んじゃうよ……」って思ってたら本当に死んでしまって、自分と重ねて衝撃を受けた。
今日見たら、ジャン・バルジャンが、マリウスとコゼットが幸せになるのを見届けた事で、やっとやっとそれまでの償いが報われた事に、涙が出た。
自分の愛する者が、その愛する人と一緒になり、ついでに裕福で、その時の最高の幸せも、これからの幸せも保証されたのを見届ける事ができて、ジャン・バルジャンはそれまでの苦労(と一言で表すのも抵抗があるほどの)が報われたのだと思う。
最後のシーンで、椅子に座り、一人それでも満足して逝こうとしていた所に、二人が来て、感謝され、愛する者の幸せを見届け、心の底から報われたのを見て、人の苦労は報われるんだと、彼が報われて良かったと感動した。

映画を観ながら、ふと意識が自分の方に向いた。
私にも、私を心の底から愛してくれる、私もきっとこれから愛すであろう人が居て、そしてその事で私の今までが報われる予感に、有難くなって、涙が出た。

最後の最後、がれきの上に立つ亡くなった若者たちを見て、彼らは何か報われたのか、貫徹したとはいえ志を遂げる事ができず死んだよなぁ、と思うと、私も、今まで大した喜びもなく、今やこれまでの清算のように苦しんでいるけども、それで人生終わらせたくない……と思った。
もう23年生きてしまった。
今からでも遅くはないだろう。
何か人に認められることや、人に与え、感謝される仕事がしたい。
私はそれができるものを持ってると思う。
今まで苦しんできたから、報われたいという気持ちが強い。
「けれど、報われるというのは、人に認められる事なのか。
人に認められる、人に与える、という思いは、自分の欲求のために過ぎない。」
納得はしていないけど、普遍的な事実を私は知っているので、こう思う。
私が何か優れたものを持っているのだとしたら、それを恋人や、子供に注げばいいのではないか?
多くの人に認められる事よりも、大事で素晴らしい事なのでは?
とこの辺で迷っている。
この辺は保留。

保留というか、実際それをやってみたらどうか。
人に認められて認められて、与えて与えて、そしたらやっと自分の欲求から抜け出せるのかもしれない。
もう半ば悟りの境地の異性関係と同様。

なんにせよ、私はいろんな欲求に飢えている。
最近、思うの。