まめが中学生になりました | ありがとう。大好き。~巨大色素性母斑と生きる~

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私だけじゃない。あなただけじゃない。
みんなが笑顔でいられるために。前を向けるように。
情報を少しでも提供できたら。
みんなの共通点は「命」です。
さぁ、笑おう!




あのまめが、たくましく育ちまして、

今月中学生になりました。


最後に手術を行ったのは、幼稚園の年長だったので、小学6年間は結局一度もなにもせず。


レーザーも何もしませんでした。



小学生になって、最初の頃は手術の予定を入れたりしてたんです。


でも、GWは南国に旅行したいしなぁー、

UVケア面倒臭いから、それ終わってからにしよっかなぁー、

あーでもその後だと私の仕事がなぁー、


なんて思っていたら、

例のアレですわ、新型コロナのパンデミック。


一応、レーザーの予約をしていたんですけど、

病院から「緊急オペ以外は行わない」と言われたので、無期限延期となり、

そのまま今日に至ります。


それまで、

淡々と手術を行って来たので、

その時にふっと思ったんです。


「あ、なにか変わる時かも。」


って。



0歳からずーっとやってきた手術は、

私がひたすら「まめのために!」と

血眼になって探して、おこなってきたものだったし、


私の中で、「よし!これで行く!」と、治療法を決めた時に先生から言われた、

「ひとまず、この母斑を、小学校入学までにどこまで小さく薄くできるかを一区切りと考えましょう」という言葉、


そして、

小学校に入学した時に、初めて会うお友達から、

母斑についてなにひとつ触れられることがなく、

勿論、いじめられるなんてこともなかったこと、


まめが生まれてからそれまでの間、

私の中で、

ずぅぅぅーーーーーーーーっと、

ピーーーーーーーーーーーーンと、

張り詰めていた緊張の糸が



ふわっ


と、緩んだんですよね。



どーせ、コロナ禍でオペ出来ないなら、


何か違う治療法を探す時なのかもな。



そう思って、


今までやって来たまめの治療を手放しました。



そしたらね、

やっぱり次に導かれるんですね。


その時の私たちに必要なものに。


そこから、今の治療法で今日までやって来ています。



お陰様で、

まめはとっってもいい子に育ちました。


強くて


優しくて


美しい子に。



今日も、私に反抗してから登校して行きましたよ笑



今日は学校でランチがないから、

友達みんなご飯に連れて行ってあげようか?

って言ったら


「そういうの、いい。」


って。



ええとこで飯食わせたる

ゆーとんのに

なんぢゃいその言い方わぃ


ですわ、ほんま。




コロナ禍以降ね、手術しなくなってからね、


なんというか


フツーのね


「育児の悩み」


ってやつで頭を抱えることができています。



まめが生まれたあの時は、

そんな日が来るなんて思いもしませんでした。


メラノーマの可能性


脳への影響


いじめられるんじゃないか


次の手術はどうする


そんなことが頭の中を埋め尽くしていた。



気力だけで、

毎日立ち上がってました。



そんなだったらあの日から、


私とのええとこの飯より、


友達と遊びにくりだすことを


反抗期バージョンで伝えてくる。



この上なく幸せだ。





この夏は、バレエ団からも表彰していただき。


なんだかんだありながら、


成長しております。


改めて、これからもよろしくお願いいたします。