まだ生まれたてのまめを抱っこして、「大丈夫。大丈夫。」と、一歩踏み出すごとに唱えながら、病院を何ヵ所もまわったこと。
この一歩が、明るい未来のための一歩でありますようにと祈りながら。
治療法に納得がいかず、絶望的になって帰ったことも1度や2度じゃないこと。
諦めるもんか。
まめを救えるのは私しかいない。
その気持ちだけで1日1日を踏ん張って来ました。
母斑の心配や、治療への不安、そして産後のホルモンバランスの不安定なこと、
神に誓って、自ら「死にたい」と思ったことはありませんが、
精神を患って亡くなる人の気持ちが解ってしまう自分がいました。
あのとき、自分の気持ちを全て吐き出せる誰かがいたら、少しは楽になれてたでしょう。
などと、なんでも他人のせいにしてしまうのは私の最も悪いところです(笑)
大人になると、誰にも自分の悩みを話すことなんて出来ません。
出来るあなたは、そんな幸せなことはありませんよ、絶対に。
なぜ、突然こんなことを書いているかというと、
このブログにいただくコメントやメッセージの送り主である、母斑を持って生まれたお子さまのお母さま、そしてご家族の方々のお気持ちを考えるからです。
特に、私も同じ立場として、治療を受けるお子さまのすぐそばで支えるお母さまのお気持ちを。
どうか、どうか、旦那さま、奥さまの不安定な精神面を全て受け入れてあげてください。
奥さまが攻撃的であったとしても、だんなさまは絶対に戦闘スイッチを入れないでください。
これから、長い長い間、育児と治療を戦い抜くのはお子さまと1番近くで支える奥さまなのです。
治療というのは、手術を受ける時だけではありません。
治療を受ける子の母親というのは、365日、24時間が治療との戦いです。
子供が赤ちゃん時代や幼児期は特に。
私には心休まる時などなかった。
あの頃を思い出すだけで、今でも泣けます。
でも、本当に、一日一日、今日も大丈夫だった、今日も大丈夫だった、あぁ今日も大丈夫だった...と、横になったベッドで毎日思っていました。
あの頃の私のように、今そういう日々を送られている方。
私が救われた最初の一歩は、信頼出来る医師と、納得がいく手術方法との出会いです。
その出会いを自分の手で掴んだことは、何よりも自信になりました。
諦めるもんか。
まめを救えるのは私しかいない。
この信念を強く思えば思うほど、自分で自分を追い込み更に苦しくなり、辛くもなりました。
でも、今でもまだ強く思っています。
この信念がなければ、まめの治療も前に進まないのです。
強く思っても、体力がついていかず、悔し涙を流すこともしょっちゅうです。
体力が回復しても、物事が上手くいかなくて、心がポッキリ折れることだって、それこそしょっちゅうです。
身も心も元気な状態なんて、産後ほとんどないのが私の現実です。
でも、育児も、治療も、仕事もしなければならないというのも私の現実。
そして、集団生活が始まると色々な問題も勃発して...。
でもこれが、子供を生み、育てるということ。
我が子の全てを受け入れてしっかり育てるということ。
諦めるもんか。
今日のブログは、今現在体調不良で心も折れている私のひとりごとですが、しんどいのも、辛いのも、頑張っているのも、自分ひとりじゃないということを知ってほしい。
治療法で悩まれているママ、勇気を持って行動してみてください。
「子供のため」は「自分のため」でもあるのです。
子供のための最善策が見付かれば、それは自分のためにもなるのですから。