まめの巨大色素性母斑の検診に行った。
まめは港区のA病院で産まれ、そこには皮膚科がなかったので、退院してすぐ自宅のすぐ近くにある中央区のS国際病院の皮膚科にかかった。
退院した翌日、フラフラの体で皮膚科へ行き、特に何の説明もないまま「形成に行ってみてもらってください」と言われ、そのまた翌日、形成外科へ。
手術の説明が始まる。
体を起こしているだけでやっとだった私は、まめがこれから何度も何度も大きな手術をしなければならないという事実に遠退きそうな意識のなか、倒れないようにしているだけで精一杯だった。
その日の記憶は、あまりない。
それからの日々は、生きた心地がしなかった。
毎日まめとべったり一緒にいながら、愛しいと思うのと同じだけ苦しかった。
他の赤ちゃんを見るのも辛かった。
体の広範囲に蕁麻疹が出て、過呼吸になり、目眩や痺れ、ホットフラッシュ、外に出ることも、家にいてもとにかく怖い。ひたすら怖い。
まめを可愛い愛しいと思うのと同じだけ怖い。よけいに苦しい。胸がつぶれるんじゃないかっていうくらい。
この母斑が悪性のものだったら、まめに何かあったら…。
完全にノイローゼだった。
毎日、私よく生きてるなと思っていた。
でも、まめのために絶対に生きなきゃとただそれだけ自分自身に言い聞かせて、ひたすらその日1日を乗り越えてきた。
先月のS国際病院の形成外科の検診で、「手術に向けて本格的に検査をしていきましょう」と言われたため、他の病院にも検診に行ってみることを決意。
紹介状を書いてもらい、母斑研究の第一人者といわれる先生を訪ね港区のT病院の皮膚科へ。
その先生は、ずっとT病院で母斑研究をされていたが今は都立K病院に行かれたと聞いていたので、そちらに行くつもりでいたのだが、T病院にも週1度出られているので家から近いT病院で検診を受けた。
今回、私がその先生を訪ねた理由は、S国際病院の形成外科以外の病院で手術に対しての話を聞くこと、そして、まめ自身の母斑がどういうものなのかを聞くこと。
今まで、皮膚科でちゃんとした説明も受けないまま来たので、自分でネットで検索した情報だけでノイローゼになっていたのだから、まめがどういう症状なのかを聞く必要がある。
その気持ちになるまでにも時間がかかったが。
今日は、もし悪性に移行する確率が高いあざだと言われても立ち向かう覚悟で行った。
特別な検査はしていない。
顔の母斑の大きさを計り、体にある小さな母斑の大きさも計り、先生と話をしただけ。
でも、まめのこの母斑が悪性に移行する確率は低いと言われた。
先生が数十年の間に150~160人の母斑を診てきた(顔に限らず)なかで、その母斑を全く切除せず何十年もいた人が少ないため確実な統計はないと言われたが、その中でも皮膚がんに移行した例は一件だけだったそうだ。その方は顔ではなかったので切除をされていなかったそう。
レーザーやドライアイスの治療では奥の組織まで切除出来ないが、皮膚移植で全部切除した場合は、悪性への移行はゼロだと断言された。
移行の確率が低いので、全部を切除しなくても経過観察をしていくという方法もとれる。(まめの母斑は髪の毛の広範囲にもかかっているためそこは残すかもしれない。)
発育の様子をみても、脳や神経への影響もないだろうと。
顔から頭に大きな大きなほくろがあると思ってと言われた。
順番を待っている間ふと周りの様子を見ると、赤あざの赤ちゃんもいた。まめのような黒あざの赤ちゃんもいた。
お母さんを見て、勝手に戦友のような気持ちになる。
頑張ろう。
大丈夫だから。
私たちが必ず大丈夫にしてみせよう。
私の母がいつも言う。
「やっとまめのことを受け入れてくれるお母さんが見つかったから、まめはここに産まれて来たんだ」って。
まだかなまだかなっていつになったら地上に降りられるんだろうって、他の赤ちゃんにどんどん先を越されてもずっと私の準備が出来るまで待たされてたんだって。
私は母にそう言われる度に思っていた。
まめは、私のところというよりも、私の母がバァバでいてくれるからここに産まれて来たんじゃないかって。
そのくらい、私は母がいなければどうなっていたか解らない。
今日、こんな気持ちでこんな文章を書けているのは、この半年間皆が私を支えてくれたから。
本当に本当に、本当に有難う。
私に笑いかけてくれるまめに、胸が苦しくなることはもうない。
ただただ、ひたすら愛しいだけ。
まめ、愛してるよ。
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