ちょっと思う所があって、日常やっていることをいくつかやめてみた。

なにをやめたかというと・・・
・二日に一度やっている部屋のふき掃除
・自由時間についスマホをいじったり
・自由時間についネットをみたり
こういうことを。

どうしてやめてみたのかというと、やっていて妙なしんどさがあるから。しんどさがあるということは、やらなきゃいけない意識でやっているのではないか? そう思ったのだ。

やらなきゃいけないという意識。
であれば、その根っこには潜んでいるのは愛の欠如。愛の欠如由来の義務感やおそれ、そんなものがきっかけでやっているのではないか。そう思って、行為の点検がてら一旦やめてみた。



では、実際やめてみてどう思ったか。

やめてみてやはり感じたのは義務感。
つまりどれもがまんしてやっているということ。
やめてみると、「がまんしてやらなくては!」「やらなくては悪い自分だ!」という思いが湧いてくる。やはり私の思考はがまんが標準になっているようだ。

がまんしてやっている自分が「優」
素の自分が「劣」という認識が無意識にあるのだろう。

そう気づいたらそれで終わりだ。
それ以上どうこうする必要もない。
過去の自分はこういう認識をしていたのだな。それで終わりだ。

どうにかしようとするのもまた不自然な力の動きを生んでしまうし。
大体、幼少期に起こった出来事に子供特有のおかしな意味付けをして、こういう思いが生まれたのだ。今また、おかしな意味付けを重ねる必要はない。出来事はただ出来事と認識するだけで十分なのだ。

どちらでもいいの感覚に立ち戻るために、行為の点検がてら「やらないをやってみる」のはなかなかいいかも。