人はいつ「親」になるのか。

それはもちろん自分の子供が生まれた時からだ。


では、人はいつから「親」になる準備をすればよいのか。

これはあまり扱われない問いかもしれない。




私の親はろくでなしだ。

特に父親である。


駄目な父親像というのは、パチンコや競馬といった賭け事をして家庭を顧みない、もしくは暴力をふるうといったものかもしれない。

しかし私の父親はそれとは異なる。


私の父親は単身赴任の多い仕事をしていた。というのも今は定年退職しているので、こちらの方に帰ってきて家の近くの店舗で引き続き働いている。


その単身赴任というのが問題なのである。


世に単身赴任で仕事をしている父親なんてざらにいるが、

その父親たちは、自分の子どもに愛を与えられているか。

私の父親は、私に愛を与えることができたか。


単身赴任をすれば仕事がもらえ、家族にお金を入れることができる。

しかし、お金以外に何か与えられないとすれば、別にその父親でなくても、世に金を稼げる男なんていくらでもいるのだから、違う男でもいいわけである。


では、なぜ自分の子どもを産むのか。


子どもを産むことで癒しを得たいとか、別に何も考えず、性欲のままに子どもを作ってしまったとか、理由は様々だろうが、そんなやつに親になる権利があるのか。


親の責任とは何だろうか。

子どもが二十歳になるまで、自立するまで面倒を見てやる。

そんな簡単なものだとは私は決して思わない。


親が果たすべき責任とは、自分が自ら歩んできた人生において学んだ様々な事柄を伝え、子どもをより良い人間にするというものである。


子孫を残すという、生物の本能による営みの裏には、必ず「学び」がある。


「学び」の本質とは、よりよい人間になること、に他ならない。




ここで冒頭の問いに戻る。


人はいつから「親」になる準備をすればよいのか、である。


答えは、自立し、自分は(も)愛を持って、子を持ち、自分の学んだことを伝えていきたい、と思ったときからである。


親になるには、ただ漠然と子が欲しいと考えるだけでは駄目で、何を伝えたいのか、どんな人間に育てたいのか、明確にしてからでないと、生まれてくる子に申し訳ない、と私は考えている。




途中で単身赴任について批判的なことを述べたが、雇用上仕方のないことであるから、システムを批判するわけではない。

あくまで、単身赴任のある職種だとわかっていながら、このようにしか子を育てられなかった父親を責めたいのである。

そのうえ、帰ってきた今でも、家庭にあるべき父親としての態度、姿勢をとっていない。食事中の行儀の悪さ、気の利かなさ等、あきれるばかりである。

いくらお金をもらえようと、こんな父親は必要ないので、母親に離婚するように何度も話しているが、経済的なところで、母親はなかなか一歩を踏み出せないでいる。


実に馬鹿らしい。

母親は常日頃、父親の愚痴を言い、面と向かって怒鳴るときもある。

それを受けても父親はのんきに、ノー天気に暮らしているのだから余計に腹が立つ。



愛のある、温かい家庭に育った人を羨むばかりである。