中学に入っても父や兄の暴力はとどまる事を知らなかった。そして中学2年のある日、原因は忘れたが兄に一升瓶で右ひじ付近を殴られ、静脈が切れて大出血。 |
- 前ページ
- 次ページ
今日は、始めに私の生い立ちから簡単に説明させて頂きます。
私という人間が、今までどういう人生を歩み、何を感じ、なぜ世界1周旅行に行こうと思い立ったのか。
私は和歌山県で生まれるが、両親の仕事の都合で転々とし、東京に連れて来られる。
父と母、兄と私の4人家族で都内の一戸建てで育つ。
幼少の頃、私は勉強は2の次で、サッカーや野球、身体を使うスポーツが好きなのに対し、3つ上の兄は学校の成績が良く、性格は私の逆で大人しい。
当時、勉強のできる兄と出来ない私、比較されるのは仕方なかった、でも許せなかった。
幼いころの記憶と言えば、厳格な父に毎日のように殴られ、兄に殴られ、母に噛まれるという記憶がほとんど。
家族でどこかに出かけたり一緒に遊んだ記憶は私には無い。
何より家の「しつけ」が父の影響で非常に厳しかったです。
門限、テレビの見る時間(1時間だけ)、食事の食べ方、全てにおいて同じ世代の友達と比べてみても異常でした。
当時ファミリーコンピューター(ファミコン)が出た時代で、小学校ではテレビの話題や当時人気だった「ドラゴンクエスト」の話題が人気だったが私はもちろん取り残された。
唯一身体を使って遊ぶにも門限が他の友達より早かったため、常にみんなより早く家に帰らなければいくなかった。
門限に1分でも遅れると、何時間も立たされるか、正座させられ、父が帰って来ては殴られる。
門限を守っても、仕事で疲れて帰ってきた父は何かと理由をつけて僕を殴った。理由が無い時も多々あった。
そんな中、幼いながらも私は自殺を何度も考えた。でもできなかった。
幼い私に芽生えたのは「復讐」と言う2文字だった。
小学生の高学年になると母親より身体も大きくなり、母から耳を噛まれる事は無くなった。
中学に入ってからも、父と兄からの暴力は絶えなかった。
そして中学1年生の冬に、初めて父に逆らったら殴られ、部屋を目茶苦茶にされた。
もうこの家に住むことに限界を感じ、初めて家出をした。
しかし何の計画もコネもなく、冬の公園のベンチは子供の私にはきつかった。
やむなく夜中一人で家に帰るはめに。
でも今思えば、この時から私の自由への扉が開いた時なのかもしれない。
私という人間が、今までどういう人生を歩み、何を感じ、なぜ世界1周旅行に行こうと思い立ったのか。
私は和歌山県で生まれるが、両親の仕事の都合で転々とし、東京に連れて来られる。
父と母、兄と私の4人家族で都内の一戸建てで育つ。
幼少の頃、私は勉強は2の次で、サッカーや野球、身体を使うスポーツが好きなのに対し、3つ上の兄は学校の成績が良く、性格は私の逆で大人しい。
当時、勉強のできる兄と出来ない私、比較されるのは仕方なかった、でも許せなかった。
幼いころの記憶と言えば、厳格な父に毎日のように殴られ、兄に殴られ、母に噛まれるという記憶がほとんど。
家族でどこかに出かけたり一緒に遊んだ記憶は私には無い。
何より家の「しつけ」が父の影響で非常に厳しかったです。
門限、テレビの見る時間(1時間だけ)、食事の食べ方、全てにおいて同じ世代の友達と比べてみても異常でした。
当時ファミリーコンピューター(ファミコン)が出た時代で、小学校ではテレビの話題や当時人気だった「ドラゴンクエスト」の話題が人気だったが私はもちろん取り残された。
唯一身体を使って遊ぶにも門限が他の友達より早かったため、常にみんなより早く家に帰らなければいくなかった。
門限に1分でも遅れると、何時間も立たされるか、正座させられ、父が帰って来ては殴られる。
門限を守っても、仕事で疲れて帰ってきた父は何かと理由をつけて僕を殴った。理由が無い時も多々あった。
そんな中、幼いながらも私は自殺を何度も考えた。でもできなかった。
幼い私に芽生えたのは「復讐」と言う2文字だった。
小学生の高学年になると母親より身体も大きくなり、母から耳を噛まれる事は無くなった。
中学に入ってからも、父と兄からの暴力は絶えなかった。
そして中学1年生の冬に、初めて父に逆らったら殴られ、部屋を目茶苦茶にされた。
もうこの家に住むことに限界を感じ、初めて家出をした。
しかし何の計画もコネもなく、冬の公園のベンチは子供の私にはきつかった。
やむなく夜中一人で家に帰るはめに。
でも今思えば、この時から私の自由への扉が開いた時なのかもしれない。