5月人形さんゴメンナサイ
こんにちは。
公立高校合格請負人のかず先生です。
今日は、端午の節句ですね。
本当ならば、5月人形を飾り、ごちそうを並べて、鯉のぼりでもあげるのでしょうが、子供がもう高校3年生にもなると、押し入れの奥から人形を出してくるのが面倒で・・・。
昔は近所でも鯉のぼりをよく見たものですが、最近では本当に見なくなりましたね。
だからと言って、子供の成長を喜んでいないわけではありませんよ。
もうすぐ18才になる息子をみて、大きくなったなぁ~と、ビールを飲みながら思う今日このごろです。
もう2~3年もすれば一緒に酒が飲めると思うと、すごく不思議な感じです。
小さい頃は気管支が弱く、特にこの時期は夜中に救急で病院に駆け込んでいたころを懐かしく思います。
本当に子供の成長ってはやいものですね。
どんな人生を歩むにしても、いつも一番の応援者でありたいです。(ちょっとキザでしたね)
貧しかった留学生時代 第2章
こんにちは。
公立高校合格請負人のかず先生です。
前回のつづきをお話しますね。
当時、私は「SHOGUN(将軍) という名のステーキハウスでアルバイトをしていました。
今でもありますよ、オクラホマシティーとタルサというところに。
なぜかタルサの店のホームページだけ見つけました。参考までに・・・
http://www.shoguntulsa.com/home
私は、オクラホマシティー店で、①フロント ②バーテンダー ③キッチンヘルパーとして働いていました。
①フロントとは、スーツを着て、お客が来るとメニューを持ってテーブルまで案内する係りのことです。
お金にはなりませんが、きれいな仕事でしたね。
時には映画でよくあるように、すごく混んでいる時間に、お客から20ドル札を握らされ、待っている客をとばして、あたかも予約をしていたかのようにテーブルへ案内したこともありましたね。
③キッチンヘルパーとは、仕込みからオーダーのセッティング、スープの補充、フライドライスをデッカイ炊飯器で炊いたり、洗い物と最後の掃除までです。
一番困ったのは、前回でお話したとおり私は貧しい留学生だったので、ジーンズを2本しか持っていなくて、そのジーンズも仕込みの時に海老剥きをすると海老のシルがジーンズに染み込んでしまい、太もものあたりがピンク色になり、匂いも海老臭がして・・・、でもそれしかジーンズがないので、それで大学に通ってました。
おまけに、デッカイ「ズンドウ」って言うんですかね、スープを仕込む鍋なんですが、それを持ち上げた時に足元が滑り、ギックリ腰になり、今でも重いものを不自然な姿勢で持ち上げるとギックリ腰になり、ベッドから起き上がれなくて、のたうちまわる始末です。トホホ。
でも、オクラホマでの生活は私をまともな人間に育て上げてくれました。
英語を学ぶというより、「いかに自己主張が出来るか」ということです。
オクラホマだけかもしれませんが、黙っていると誰一人助けてはくれません。
言いたいことは相手がだれであろうとも言う、手は出さずにケンカできるかということです。
アメリカは銃社会です。 ムカつくからといってケンカをすれば撃たれる可能性は大です。(私も一回、警察官に銃を向けられた経験があります。詳しくはまた別の機会にでも・・・)
でも、自分の意見をしっかり相手に伝えるには、あきらめずに根気よく主張し続けることが大切です。
そうすれば、自分の意見に賛成してくれる人も現れるし、自己の確立につながります。
日本人は「NO!」ということが苦手な人種だと思いますが、私は言えるようになりましたよ。
だから、貧しかった時代でもありましたが、とても有意義な日々を過ごせました。
ありがとう!オクラホマの人たちよ!
P.S. オクラホマネタは山ほどあるので、またの機会に写真を添えてお話ししますね。 おたのしみに・・・
貧しかった留学生時代 第1章
こんにちは。
公立高校合格請負人のかず先生です。
私は学生時代、アメリカのオクラホマ州という田舎に留学していました。
フォークダンスをするときによくかかる曲「オクラホマ・ミキサー」ってありますよね?
あれです。あの曲が生まれたところです。
留学生というと、家が裕福な家庭の方が多いのですが、私には仕送りがまったくありませんでした。
よって、学費の安い大学を探し、アルバイトをしながら学生をしていました。
アルバイトは当時でも違法だと思いますが、30年以上も前のことなので時効ということでお許し下さい・・・。
留学当初は体重が70キロ以上ありましたが、帰国したころは58キロに痩せていました。
というのも、とりあえずお金がなかったのです。![]()
洋服も日本から持っていったものしかなく、何度も洗濯するので色落ちはするは、繊維も少しハゲてくるは・・・。
アメリカのコインランドリーはなかなか強力でしたね。
おまけに、散髪するお金もないので髪はのび放題で、痩せていたので、よくベトナム人と間違えられました。
でも車はもってましたよ。っていうか、車社会なので、車が無いとどこにも行けないのです。
オクラホマは電車がないんです。(昔はあったらしいです)
乗っていた車も、中古車屋で買うと高いので、「サンデーニュースペーパー」という新聞を買って、それに掲載されている個人が売っている車を見つけ、自分で電話をかけて、交渉して買ったものです。
「サニーB210」を750ドルで買いました。
エアコンはなく、クーラーを外付けしたものでしたが壊れてました。トホホ・・・
もちろんボディーは色がはげて、あちこちへこんでましたね。
でもうれしかったなぁ~。マイカーが持てるなんて夢のようでした (次回につづく)・・・




