先日の6月13日は『小さな親切の日』だったそうです。
最近親切したなぁって経験ありますか?
最近人に親切にするって難しい世の中になた気がします。
たとえば、一番身近で簡単な例で言えば、電車の席。よくお年寄りに席を譲るって言うのはありますが、あと少しつめればもう一人座れる隙間があっても、つめようとしない。まぁ、この辺はマナーの問題な気もしますが、少しつめることで1人でも座れる人がいればそれも小さな親切ではないでしょうか?
道に迷ってる人がいて、声をかけられれば助ける人も多いでしょうが、明らかに困っている人がいても、声をかけようとする人は何人いるでしょう。見てみぬふりをする人のほうが多いのでは?たとえ道を教えられなくても、困って不安になっている人にとっては、声をかけてくれるだけでも親切なことではないでしょうか?
なんか、『親切なこと』というと、何かしなくちゃと構えるかもしれませんが、『親切』って何気ないシンプルなことの積み重ねだと思います。
元気に挨拶をする、ちょっとした笑顔、落ちているごみを拾う、後から入る人のためにトイレをきれいに使う、などなど関係ないって思うかも知れませんが積み重ねが、見えないところでいろんな人を助けていることっていっぱいあると思います。
それって、一瞬で出来て、誰かに何かするわけじゃないので、構えなくても出来ることだし、十分『小さな親切』ではないでしょうか?
最近、人と人との関係が希薄になってきていると思います。
『めんどくさいからなるべくかかわない』
『自分には関係ない』
『べつにどうでもいい』
って、人とのつながりを自分から持たないようになっています。
最近、変な犯罪が多いのも人との関係が希薄になってきて、モラルや罪悪感なの人間関係に必要なものが薄らいできたのも原因のひとつじゃないでしょうか?
そういえば、金八先生で有名な言葉で
『人と言う字は人が支えあってできている』
っていうのがありますが、
それ以外にも
「人間」っていうのは、人と人の間で生きているから「人間」っていうんじゃないかな。
人はけっして1人では人間になれない。
というものがあります。
まさにそのとおりじゃないでしょうか?
親切って言葉は「親を切る」って書きますが、漢語では「親を切る」は『切親』になります。
元の語源は漢語で、「親切」は、「親」は親しい人、「切」は、刃物がじかに当たって肌身に応える、つまり、身近にいてぴったりとくっついていると意味で、本来の「深切(しんせつ)」と言う字と同じ発音だった「親切」定着したそうです。
つまり、人とのつながりの中で生まれた言葉なんですね。
だからこそ、人との関係を消さないためにも、誰にでもできる「小さな親切」って必要なんですね。
まだまだ「世の中そう捨てたもんじゃない」って思いたいですよね。