人は何かを所有する度に悩みが増えていく生き物でもあります。

得たものを手放す事ができるなら、いちいち悩まないでも済みますが・・・。
しかし、新車を買ったばかりの人が、その新車を手放す事を考えるなんてそう簡単にできるものではありませんよね。

これはエゴと呼ばれる自我の部分が、人は何を所有しているかという事が大事で、所有していないという事は、人からの評価が下がったり、人によっては失敗者とまで思ってしまう人もいるくらいです。
どんな家を所有しているか、どんな車を所有しているか、どんなバック、どんな時計・・・を、所有しているかは、さほど大事ではありません。

本来は・・・ね。(ひがみじゃないよ(笑))

( ̄ー ̄;)そ・・・それで、所有物で自分とか他人を判断する社会が出来上がっている訳ですが・・・。

所有物を失ったからって、失敗ではないです。
家が燃えたところで、家が燃えているに過ぎず、何かを失敗したわけでは無いです。

何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく僕らは、所有物は対して重要ではないのですが・・・

エゴは、それをとても大事なものとして、潜在意識に刷り込みます。

この世に生まれてきたばかりの、こどもたちは、そのことがとても良くわかっています。

なので、何もなくたって、本当は楽しく、夢中に時間を過ごせます。

毎日が驚きの連続なんですね。
驚きの分だけ、成長するし
驚きの分だけ、生きることの楽しさを知ります。

しかし、大人になると、驚きは少なくなり、知っているように過ごし、賢いような振る舞いを見せます。
なんだか、驚くと無知だと思われるのではないか?と、知っているふうに振る舞ってしまうのです。

ペルシャの詩人、ルーミーは言いました
「なんでもわかっている、頭を使えば大丈夫、という態度を売り払って、何ものにも驚きを持って生きていきなさい」

と…。
この方が人生は豊かだと説いたのです。

そう、大人になると、子どもほど驚かず、そのぶん、何を所有しているか、何を成したか、どんな地位なのか、そんな事を気にしてしまいます。が、それを気にする人ほど成長はありません。

大事なことは、自分が人間らしく在り、毎日が驚きの連続で、毎日が感じることの素晴らしさを体感してることなのです。

所有物に気を取られることなく、何もないことを楽しめる精神を養いたいものですね。

そうなると、自由人として、どこでも楽しめちゃうのだと思います(笑)