
本日は個人的な話しではありますが、おめでたい日でありまして…
娘の5歳の誕生日であります。
娘が生まれ、5年をかけて育ってくれました。
娘のことを考えれば考えるほど、僕自身がこの世に生まれてきたことの意味を感じられます。
これって、とても大事なことではないでしょうか?
自分が生まれてきたことの意味を感じること、どんな時に皆さんは感じますか?
命を生む母の存在があって、その元を作るために父親もいて、
その2人の存在があって初めて命が生まれれる「可能性」が生じます。
僕がいなければ娘がいなかった…紛れもない事実。
新しい命のバトンを渡す事に貢献できた「自分の存在」にとても意味を感じることができます。
これは深く考えるほど、自分がこの世界に生まれてきた意味を知れるんです。
自分の存在価値、存在する意味を見出すことは、生きるエネルギーを生み出す事に繋がります。
それを探すことは、毎日をワクワク、生き甲斐をもって過ごせる事なのだと思います。
わが子の命を考えて、自分の存在している意味を知る以外にも、
いろいろな場面でそれを感じることもできます。
自分の場合でお話をさせていただくと・・・
僕に出会った方が、僕という人間の何かの要素を感じ、気づき、輝きだすという事。
この人が輝くお手伝いをできた時に、僕はさらに自分がこの世に生まれてきたことの
意味を感じることができるのです。
自分を起点に、誰かが元気になる。
ただそれだけでも、自分は存在している意味があるのです。
映画で「ペイフォワード」という話がありますが、それと同じように、
笑顔の連鎖、元気の連鎖、命の輝きの連鎖に自分が貢献できるということは、
自分が存在している意味を感じられることなのだと思います。
だからこそ!!それが心から嬉しいのです。
少なからず、僕はそこに喜びを感じます。
だから、自分が元気でいること、子供たちの前で希望で満ちた姿でいること、
夢は必ずかなうという考え、そんなものを忘れずに毎日を過ごしています。
僕のこの「たったひとり」の行為でも、誰かがそこで気づくのならば、
世界にもう一つ光を生み出す事ができます。
確実に光がひとつ増えるのです。
辛い時も、困難な時も、未来に絶望を感じ、笑顔が出せない時も、
人生にはあってよいと思います。
しかし、ずっとそんな自分ではいたくないですし、
どうしたらそこから抜け出せるか、常にチャレンジするのが生きているという事だと思います。
いつか状況は変わるのです『自分自身の在り方ひとつ』で…
娘が5年前に誕生した、今日この日に、自分はどんな人間で在りたいか、
自分自身の在り方を再確認する36歳のオヤジおざかつ・・・
何かの機会を使って・・・
みなさんご自身、
自分を認め、自分の貢献している事を探し、自分の存在を誉めてあげてほしいです。
だれであろうと、必ず何かに貢献しているのですから・・・