【TEDxUTokyo 2012.5.20 参加レポート】

テーマ:「ブータン人はなぜ幸せなのか」



スピリチュアル交流会を主催している僕としては、このプレゼンがとても楽しく有意義だった。



ブータン王国は国土も狭く、人口も少ない、そして環境としては標高が高く、人が住む場所としては厳しい環境にある。

産業も発達し難いこの国の人は、全員が幸せの国だと認識していて、

聞いてもいないのに「どうだ、この国は最高に幸せだろ?」と、話しかけてくるほどらしい。




「日本は幸せの国か?」と、聞かれ即座に「そうです」と皆さんは答えられるでしょうか?




会場の人が素直に「そうです」と答えられないのは、何か原因があると感じた。

「ブータン王国は幸せの国か?」と、ブータンの方に聞くと

「はい、そうです」と即座に答えるのに・・・、何が違うのだろう。






もちろん、日本人の中にだって自分が幸せだと感じている方は多くいると思う。

しかし、日本という「国」自体が幸せの国かどうか聞かれると、話は違う。




国は当たり前だけど「人」が創っている。





その人の多くが認めた価値基準。

つまり、大衆が認めた「あたりまえ」の価値基準によって国の基準ができる。





そこで、着目するのが日本とブータン王国との「幸せの価値基準」ということ。





日本とブータン王国ではこの幸せに対する価値基準が明らかに違うことが、

次の会話からうかがえる…






ブータン王国に住んでいるある老人に「何故幸せなの?」と聞いたとき、

その老人は言った…

「あたりまえだろ~、今回(現世)は人間に生れてこれたんだからさぁ~」


・・・ 

^^;





つまり、人間に生まれただけで幸せだということ(笑)

前世はいったいなんだったのか、分からないが(笑)

とにかくこんな視点でモノゴトを考える国民なのだから、

幸せを感じる頻度は明らかに日本より高い。





僕らが日頃、何をもってして幸せか?

それを感じる基準(手に入れにくい)が高ければ高いほど、

幸せと感じられる人はごくわずかになっていく。






ブータン王国の国民は、ほんの些細な事や、目に見えない世界の事に対して、

しっかりと幸せを感じられるのだと思う。







最後に、ブータン王国の方の考えを少し紹介します。





★「そもそも、一人一人の人間はちっぽけで、解ける問題などない、課題も山ほどある、だからできる事をやって行けばよい」

⇒人間が何でもできるという“おごり”を捨てること



★「日本人は“幸せ”を考えた時、自分の幸せを考える…」しかし、

「ブータンは周りの人の幸せを考える事で、自分の幸せにたどり着く」
という考えを持っている。





同じ人間として生まれ、思想の違いがあるものの、根本である幸せに対する価値基準について、もしかしたら日本はもっと深めていく機会が必要なのかもしれませんね。






TEDxUTokyo
http://www.tedxutokyo.com/

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スピーカー:
元ブータン首相フェロー
『ブータン、これでいいのだ』著者
御手洗 瑞子

$ソーシャルメディアでまちおこし


テーマ:
「ブータン人はなぜ幸せなのか」

 McKinsey & Companyを経て、2010年9月から2011年9月までブータン政府首相フェローとしてブータンの観光業の振興などに貢献する。「幸せの国」と呼ばれるブータンでの経験やそこから考えたことを綴った著書『ブータン、これでいいのだ』は、ブータンの実情が生き生きと描かれている。どんな時でも「まぁ、いいんじゃない」と気軽に構える強さを持つブータン人。そんな彼らと触れ合ってきた彼女が語る、新しい「幸せ」の可能性とは。
 ブータンは幸せの国として有名である。その実体は、山奥にある日本の一県ほどの面積人口の国であり、顔形も日本人に似ている。GNH(Gross National Hapiness)という指標を重視するブータンだが、国民はどうやらこれのおかげで幸せに感じているという訳ではないようだ。実例を交えながら、ブータン人は物事の捉え方、対処の仕方、幸せの定義が日本人と異なるということを示す。抱え込みすぎない生き方もある。御手洗さんのブータンでの上司から日本人へのメッセージでしめくくる。