昨日は、担当ケアマネさんやソーシャルワーカーさんによって受けるサービスに差が出る‥
と言うところまで書きました。
少し遡って、父の肺癌発覚当時の事を記したいと思います。
きっかけは、寝ている時に咳が酷く、時折うなされてるので受診。
その時の結果は、病名は忘れましたが、通常成人になるまでに退化する組織が大きくなっており、それが原因だと。
今後の事を考えると取り除いておいた方がいいと言われオペを検討。
しかし、数年前から患っていたバセドーを放置していた父。
とりあえずはバセドーを抑えなければオペは出来ないとの事で薬を飲むようになりました。
その頃はまだ仕事もしながら元気に過ごしていました。
‥がそれから1カ月も経たない頃に、足の痛みを訴えるようになり、その部位が少し腫れていたので、外科受診。
そこではっきりとは言われなかったものの、どこかから流れてきた腫瘍があるとの事でした。
その時わたしは父は癌なんだ‥
遠隔転移‥=末期だな‥
覚悟しないと‥と思いました。
漠然と意外に冷静な気持ちだったと思います。
病院は通院で、約1カ月色々な検査をしてようやく肺に巣があることが発覚‥
その時にはっきりと医者から肺癌ステージ4である事、余命は1年だと言われ‥
漠然とそうだと思っていた事が現実として突きつけられ、落ち込み‥
なんで?
まだこんなにも若いのに‥
チビをおじいちゃんの温もりを知らない子にさせるつもり⁉︎‥
色んな感情が湧き出て、涙が止まりませんでした‥。
肺癌の高齢者を看取った時の記憶も蘇りました。
老衰で亡くなられていった方々とは違い、その過程は本当に‥ご本人はもちろんのこと、そのご家族さまたちも相当辛いものでした。
そのご本人が意識がなくなるのが嫌だと医療用麻酔などのお薬を拒否されたのもあります。
辛そうな様子を見かねて何度も少し眠れるお薬入れようか?と聞いても首を縦にふるはありませんでした。
その時の記憶が蘇った時、父にはそんな辛い思いをさせたくない。と強く思いました。
肺癌が発覚してから即入院。
抗がん剤治療と放射線治療を並行して行うことに。
種類の多い抗がん剤、遠隔転移した足の組織を調べる事で効く可能性の高い薬を絞るとの医者の話で、そうすることにしましたが‥
そこから細菌感染し、高熱が続き、組織を取るためにほんの少し開けた穴からは、浸出液が出続けている状態が長く続いたため、抗がん剤と放射線治療は2回受けただけで中断となり、解熱のための抗生剤を受けることになりました。
この頃はまだ元気で、毎日メールを送ってきてくれていました。
また追記します