オリッシーを始めた頃は一曲を踊り終えると、すべての力を使い切ったようだった。
ぜーぜー、呼吸は乱れるし、苦しくて肩を上下しないと息できない感じだったなー。
カラダに何のパワーも残っていない感じが1曲目ですぐに来てしまう。
「素敵に踊れたらそりゃあ素敵だけど、な、なんて疲れる踊りだろう!!!(ぜーぜー。)」
と正直、驚いていた。
今思えばだけど、カラダに無駄な力が入っていたり、
踊りを楽しむ気持ちが技術的な思考に押されていたり、
そもそもカラダ作りが十分でなかったりと、理由はいろいろだと思う。
体力的な問題だけでなく、気力的なものもとても大きい。
もちろん今でもこれらは課題で、気をつけている。
「踊りには、長く血のにじむような鍛錬の積み重ねと、日々の準備が絶対に必要なんだ」と
私の先生が何度も言っていたのを最近またよく思い出す。
その言葉とそれを目の前で体現してくれていた事に今も心から感謝している。
そのおかげで、今の自分があるのだから。
むか~しむかし(…ていっても実はそんな昔でもない)、
ふつうに一週間プラス休日を会社で働いていた頃
なんで一週間て限界ギリギリセーフに出来てるんだろう、といつも思っていた。
ぎりぎり走り切れる距離と言うか、いっぱいいっぱいにこうもうまくできてるもんだな~
誰が決めたの?一週間、と。
でも、限界は自分が、意識が作り出しているところが多いのよね。実際はね!
自分が無意識に一週間を区切っていれば、おのずとその配分をしているはず。
なら、限界なんか、変えたい。むしろ、ぶっ壊してしまえ!!
限界に関してだけは特に無神経でいたい。
どうでもよいことはポイっと、捨ててしまえ。
そして考えていたらついニヤニヤしてしまうような夢は、
大事に大事に毎日水をやって話しかけてやればよい。
それにたいしての努力は誰がなんと言おうと喜んで続ける。
言い訳は、他人には通じても、自分にだけは通用しない。
それは、自分をきっと中から曇らせてしまう。
ぶつぶつ。。
師匠からもスタミナ不足!と長い間言われ続けていた私だけれど、
踊りたい気持ちと練習が自分の限界を少しずつ少しずつ広げてくれた。
0.何ミリ単位で毎日少しずつそれは広がった。
それでも少しずつ広がった限界のはじっこで
まだゼーゼーいいながら伸ばし続けなければいけない。
なぜならその限界のボーダーは伸縮性があって
たゆまぬ努力でもやっと、ほんの少ししか広がらないというのに
油断すると一瞬で元の形よりも小さくなってしまうからだ。
他のインド舞踊もそうだと思うけれど、オリッシーも踊っている時間が長い。
演目によっては一曲の時間数もそうだけれど、2曲3曲4曲…最後までが長い。
私は毎日の練習でステッピングの後に最低5曲、間を休まずに踊るようにしている。
単純に先生がそうしていたのを見てきたし、必ずそのように練習しろと言われたから。
最初「え!!これは私はやらなくていいよね、というか無理だよね。カラダ壊す!」
と思った。しかし、気付いたら数年経った。
今もまだまだ余裕ではないけれど、最初の頃はかなり、ひどかった。
頑張ってるのはわかるけど、美しくない。ただじたばたしてる感じ?
それでも続けた。これだけやったのだから、少しは上達したのでは…なんて、
ちょっとした貧乏根性で自分の成長を期待した時には、ほとんどの場合、
ひどい結果が目についた。努力が報われている感じを「求めた事」がいけなかった。
それで自分は結果のためにやっているのではないと気付いた。
もちろん他人の評価などは結果如何なのだけれど。
単に、黙々と踊り続けるこの毎日の数曲の時間で、自分が生きていると感じている。
楽ではなく、たとえ苦しくても、美しくなくても踊りきることにしている。
楽しくて調子良くて充実してた、という日は毎日ではない。
でもそうではない日にこそ、思わぬ収穫が一粒、天から降りてくる。
今は出来る時には6曲、7曲踊るようにしている。
なぜなら、私は始めた時期が遅かったけれど、もっと遠くに行きたいから。
もしかしたら無鉄砲に頑張っていたらこの限界が今よりもう少しだけ広がるのではないかと
いまだに信じているから。
追記、もちろんオリッシーは単純にスタミナだけが大事かと言うと
全くそうではありません。表現の奥行きには人としての内面もすべて出るでしょうし。
一つの事に向き合う形はひとぞれぞれ。段階や向き合い方も含めて。
私は今こんなふうに踊りと向き合って、こんな事を感じているのです…。
私は期待されると調子に乗って伸びるタイプなので自分のカラダもそうなのだと思っている。
少し無理強いするけれど、頑張れるよね?大変だけれどこのぐらい頑張ってみる?と
常に少しハードなお題を与えたほうが、伸びてくれる気がする。
そのかわり、無理には代償がつきもの。だからカラダとのつきあい方も学ばなくてはいけない。
舞台などでは練習の時とは違って緊張感や場の空気があって、
さらに衣装やオーナメント、グングルなど、プラス何キロを身につけた状態で踊る。
そのためにも少し付加を与えて常に練習しなければと思っている。
それと、踊りながらもちろん限界を感じることもあるのだけれど
その先の不思議なパワーの存在がすばらしい。あれは一体なんなのだろう。。。
出ない時もあるけれど(笑)それが困りもの。。。
体調や食事などにもダイレクトに関連しない時がある。全くの謎。
ま、このパワーも、出てでくれますように、などと期待せず、ただ踊るのみなのでしょうな。
今月22日、昼と夜のライブで4曲ずつ踊ると自分で決めておきながら
これが結講チャレンジなのは自分で良ーくわかっています。^^
「モクシャ」を人前で披露するのも実は、はじめてです。ドキドキ。
どれだけ練習を重ねていても、いつまでたっても保険も余裕も案全パイもナシ…。
しいていえば毎日の練習と先生がお守り。
結局、駆け抜けるしかできません。こんな私の踊りですが、
どうぞみなさま、見届けていただけたらうれしいです。
ぜーぜー、呼吸は乱れるし、苦しくて肩を上下しないと息できない感じだったなー。
カラダに何のパワーも残っていない感じが1曲目ですぐに来てしまう。
「素敵に踊れたらそりゃあ素敵だけど、な、なんて疲れる踊りだろう!!!(ぜーぜー。)」
と正直、驚いていた。
今思えばだけど、カラダに無駄な力が入っていたり、
踊りを楽しむ気持ちが技術的な思考に押されていたり、
そもそもカラダ作りが十分でなかったりと、理由はいろいろだと思う。
体力的な問題だけでなく、気力的なものもとても大きい。
もちろん今でもこれらは課題で、気をつけている。
「踊りには、長く血のにじむような鍛錬の積み重ねと、日々の準備が絶対に必要なんだ」と
私の先生が何度も言っていたのを最近またよく思い出す。
その言葉とそれを目の前で体現してくれていた事に今も心から感謝している。
そのおかげで、今の自分があるのだから。
むか~しむかし(…ていっても実はそんな昔でもない)、
ふつうに一週間プラス休日を会社で働いていた頃
なんで一週間て限界ギリギリセーフに出来てるんだろう、といつも思っていた。
ぎりぎり走り切れる距離と言うか、いっぱいいっぱいにこうもうまくできてるもんだな~
誰が決めたの?一週間、と。
でも、限界は自分が、意識が作り出しているところが多いのよね。実際はね!
自分が無意識に一週間を区切っていれば、おのずとその配分をしているはず。
なら、限界なんか、変えたい。むしろ、ぶっ壊してしまえ!!
限界に関してだけは特に無神経でいたい。
どうでもよいことはポイっと、捨ててしまえ。
そして考えていたらついニヤニヤしてしまうような夢は、
大事に大事に毎日水をやって話しかけてやればよい。
それにたいしての努力は誰がなんと言おうと喜んで続ける。
言い訳は、他人には通じても、自分にだけは通用しない。
それは、自分をきっと中から曇らせてしまう。
ぶつぶつ。。
師匠からもスタミナ不足!と長い間言われ続けていた私だけれど、
踊りたい気持ちと練習が自分の限界を少しずつ少しずつ広げてくれた。
0.何ミリ単位で毎日少しずつそれは広がった。
それでも少しずつ広がった限界のはじっこで
まだゼーゼーいいながら伸ばし続けなければいけない。
なぜならその限界のボーダーは伸縮性があって
たゆまぬ努力でもやっと、ほんの少ししか広がらないというのに
油断すると一瞬で元の形よりも小さくなってしまうからだ。
他のインド舞踊もそうだと思うけれど、オリッシーも踊っている時間が長い。
演目によっては一曲の時間数もそうだけれど、2曲3曲4曲…最後までが長い。
私は毎日の練習でステッピングの後に最低5曲、間を休まずに踊るようにしている。
単純に先生がそうしていたのを見てきたし、必ずそのように練習しろと言われたから。
最初「え!!これは私はやらなくていいよね、というか無理だよね。カラダ壊す!」
と思った。しかし、気付いたら数年経った。
今もまだまだ余裕ではないけれど、最初の頃はかなり、ひどかった。
頑張ってるのはわかるけど、美しくない。ただじたばたしてる感じ?
それでも続けた。これだけやったのだから、少しは上達したのでは…なんて、
ちょっとした貧乏根性で自分の成長を期待した時には、ほとんどの場合、
ひどい結果が目についた。努力が報われている感じを「求めた事」がいけなかった。
それで自分は結果のためにやっているのではないと気付いた。
もちろん他人の評価などは結果如何なのだけれど。
単に、黙々と踊り続けるこの毎日の数曲の時間で、自分が生きていると感じている。
楽ではなく、たとえ苦しくても、美しくなくても踊りきることにしている。
楽しくて調子良くて充実してた、という日は毎日ではない。
でもそうではない日にこそ、思わぬ収穫が一粒、天から降りてくる。
今は出来る時には6曲、7曲踊るようにしている。
なぜなら、私は始めた時期が遅かったけれど、もっと遠くに行きたいから。
もしかしたら無鉄砲に頑張っていたらこの限界が今よりもう少しだけ広がるのではないかと
いまだに信じているから。
追記、もちろんオリッシーは単純にスタミナだけが大事かと言うと
全くそうではありません。表現の奥行きには人としての内面もすべて出るでしょうし。
一つの事に向き合う形はひとぞれぞれ。段階や向き合い方も含めて。
私は今こんなふうに踊りと向き合って、こんな事を感じているのです…。
私は期待されると調子に乗って伸びるタイプなので自分のカラダもそうなのだと思っている。
少し無理強いするけれど、頑張れるよね?大変だけれどこのぐらい頑張ってみる?と
常に少しハードなお題を与えたほうが、伸びてくれる気がする。
そのかわり、無理には代償がつきもの。だからカラダとのつきあい方も学ばなくてはいけない。
舞台などでは練習の時とは違って緊張感や場の空気があって、
さらに衣装やオーナメント、グングルなど、プラス何キロを身につけた状態で踊る。
そのためにも少し付加を与えて常に練習しなければと思っている。
それと、踊りながらもちろん限界を感じることもあるのだけれど
その先の不思議なパワーの存在がすばらしい。あれは一体なんなのだろう。。。
出ない時もあるけれど(笑)それが困りもの。。。
体調や食事などにもダイレクトに関連しない時がある。全くの謎。
ま、このパワーも、出てでくれますように、などと期待せず、ただ踊るのみなのでしょうな。
今月22日、昼と夜のライブで4曲ずつ踊ると自分で決めておきながら
これが結講チャレンジなのは自分で良ーくわかっています。^^
「モクシャ」を人前で披露するのも実は、はじめてです。ドキドキ。
どれだけ練習を重ねていても、いつまでたっても保険も余裕も案全パイもナシ…。
しいていえば毎日の練習と先生がお守り。
結局、駆け抜けるしかできません。こんな私の踊りですが、
どうぞみなさま、見届けていただけたらうれしいです。