ことばが話せるようになる事とは

ことばが話せるようになる事とは

様々な国の方々と出会い、友達になることができ、そして彼らのことばが話せるようになっています。そしてそのことを通じて自分の人生がいかに豊かになってきているか日々実感しています。

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   勉強しなければならい学校の科目から

        大好きな人達が話す愛おしいことばへ


私が16歳の時にアメリカでホームステイをしたストューダー家は、コロラド州の首都デンバーから40分ぐらいの住宅地にあった。まわりには高い建物はなく、家の東側と西側で地平線を見ることが出来た。アメリカはサマータイムを採用しており、デンバー近郊の8月の日没が午後8時ごろだったため、午後7時の夕食後でもまだ外は明るく、西側の地平線に沈む美しい夕日を眺めることが出来た。蒸し暑い8月の東京とは違い、こちらは湿度が低いため、日中は日陰に入ると涼しく、夕方は木陰でなくても涼しかった。そのため一面芝生が敷かれたストューダー家の表庭は、夏の夕暮れを楽しみながら夕涼ができる格好の場所であった。

   

           
 

ホストファザーのジョーは、夕方の自宅の表庭で夕涼みをするのがお気に入りだった。彼は時々18時ぐらいに帰宅することがあり、そんな時は夕食後裏庭から折り畳み式の椅子を表庭に持って来て、奥さんのアンと夕涼みを良くしていた。二人が夕涼みを始めると、私も二人のすぐ横の芝生に寝転がり一緒に夕涼みに加わった。湿気のない涼しい自然の風を感じながら、地平線に沈む夕日を眺め、夕食後の憩いのひと時を私も一緒に楽むことが出来た。それは日本の我が家(庭が狭く芝生も敷き詰められてなく、四方を他の家に囲まれている)では、決して出来ないちょっと贅沢な体験だった。                  

      

          

 

表庭に面したなだらかな坂道の反対側にはドローター家が住んでいた。ドローター家は、ご両親と子供が上は20代後半から下は5歳の男の子まで9人いる(すでに年上の2人は結婚していて別世帯として近所に暮らしていた)大家族だった。ホストのシェルドンとお向かいのドローター家の3男のアーサーが同級生であることもあり、両家は他の周りの家に比べるとお付き合いがあったので、ドローター家のご両親は、よく夕涼みに合流しに来た。初めて私が参加した時、両家の両親だけでなく、シェルドンやイリーサとドローター家の子供立ちも加わり、15人ぐらいの賑やかな集まりになった。そしてその場は涼しくリラックスして過ごせるだけなく、おしゃべりも楽しめるとても居心地の良い場となった。私はその楽しくリラックスできる雰囲気がとても好きだった。

    

         

 

アンは早速夕涼みに来たドローター家の面々に私のことを紹介してくれた。そしてホストのシェルドンも加わりアーサーと4歳年上の兄のティムと楽しく話すことが出来た。

アーサーは、おしゃべりな方ではなかったが、穏やかな性格でいつも周りの人の話をニコニコして聞いていた。時々シェルドンとアーサ、ティムで話が盛り上がり私がついていけないこともよくあったが、かならずアーサーが私に分かるように説明してくれ、英語が分からない私によく気遣ってくれた。また彼はスポーツが得意とのことだった。私も比較的運動神経が良く、高校の部活はサッカー部で鍛えていたため、後日何度か一緒にサッカーや知長距離走や短距離走などスポーツを一緒に楽しんだ。あまり普段サッカーはやらないと言っていたが、それなりに上手だったが、何よりも体力もあり走るのも速いため、短距離走でも長距離走でも、アーサーには全く歯が立たなかった。優しい性格でスポーツが得意な彼は、特に女の子から人気があったようで、とても可愛いガールフレンドがいるとのことだった。
         

          


アーサーより4歳上の兄貴のティムは、アーサーとは対照的で、話好きで賑やかな性格だった。ラジオから聞こえてくる歌を聞かせてくれて「この歌、今年はやった歌なんだ!いいだろう?”It’s sad to belong”っていう曲なんだけれども、日本へのお土産にレコードを買っていくといいぞ!」と言ってはやりの歌を紹介してくれたり、

 

 

未成年の私に「Coorsビールは飲んだか?ロッキー山脈の雪解け水から作っているコロラドのビールなんだ。うまいぞ!あ、でもリュウジは未成年だったな!ハハハハハ!」と冗談を言ったりして、私をかまってくれた。

 

          

 

話は逸れるが、当時私は”Lonely Boy”と背中に書かれていたTシャツがお気に入りでそれをよく着ていたが、ある日ティムはそれを見て「リュウジは”Lonely Boy”なのか?じゃ今度ガールフレンドを紹介してやるよ!」と私に冗談のように言ったことがあった。

 

                

 

 当然私も冗談だと思い気にもしていなかったが、後日、実際に彼は4Hフェアーの時に、アーサーを連れて私のところへ来て”Ryuji, Go get girls!(女の子をゲットしに行こう!“と突然言い、私を連れて同世代の女の子がいる展示ブースやホットドッグなどが売っているブースを回りはじめた。そして私のTシャツの背中に書かれている”Lonely boy”の文字を指して「彼は日本から来たリュウジだ!ここに書かれているように彼はロンリーボーイなんだ。誰かデートしてやてくれよ!」みたいなことを言って面白おかしく、私に次々彼とアーサーの知り合いの女の子達を紹介してくれた。彼女たちは笑顔で私を迎えてくれた。ティムや彼女たちが何を話しているかは半分も理解できなかったが、とても楽しい時間だった。まさに彼は年下に優しく世話好きで、そしてとても面白い部活の先輩のようであった。

紹介してくれた女の子の中に、アサーの彼女がいた。アーサーが照れ臭そうに彼女を私に紹介してくれた。とても可愛く優しそうな感じの女の子で私を彼氏の友達として飛び切りの笑顔で歓迎してくれた。他にもアメリカの学園ドラマに出てくるようなかものすごく可愛い娘もいたが、残念ながらそのあとデートの約束をすることはなかった。しかし、大勢の集まりの中で、ストューダー家とドローター家以外に知っている存在のいない私を、より多くの人の輪の中に入れてくれようとしてくれているティムとアーサーの気持ちが何よりも嬉しかった。


         
 

閑話休題。
シェルドン、ティムとアーサーと楽しく話をしていると、そこへ仕事を終えたヘザーが帰宅し、夕涼みの賑やかな輪の中に入って来た。大柄でショートカットが似合う男っぽい姉御タイプのヘザーは、恐らくストューダー家に日本の少年がホームステイに来ていることを聞いていたのだろう。私を見ると横に来て座りぶっきらぼうに

 

             
 

「あなたが日本から来たリュウジね。ところでなぜアメリカに来たの?」

と少し意地悪そうな表情をして質問して来た。それまでは日本から来たというとそれだけで「Wow, welcome to America!」のように私を歓迎してくれる初対面のケースばかりだったが、ヘザーの対応はそれとは全く違っていたので、何も言えずに戸惑った表情をしていると、更に畳みかけるように

「I don’t say “Yes”(私は“良い”と言ってないよ)!」

と表情を変えずに私に言った。しかし、私はこの時この4つの易しい単語しか使っていないヘザーのセリフの意味を理解できず、

「“私はいいと言っていないよ?”って、何に“いい”って言っていないんだ?!?」

と、私の頭の中はクエスチョンマーク(?)でいっぱいになり、困った顔をしていると、さらに追い打ちをかけるように、

 

          

“I don’t say “Yes”(私は”いい“っていっていなよ)!”
“So you can not come to America(だからあなたはアメリカに来てはいけないよ)!”

とまた畳みかけてきた。それを聞いて、私はやっと彼女が何に対して”いい“と言っていないかが理解できた。しかし彼女の英語を理解しようと一生懸命であったため、彼女が冗談を言って私をからかっているということが理解できず、その意地悪なセリフをその意味通りに取りショックを受けてフリーズしてしまった。横にいたアーサーは、私の顔がこわばっていたのが良く分かったのだろう、

「Ryuji, she is just joking!(リュウジ、冗談だよ!)」

といって腕を私の肩に回してハグをしてくれた。悪意に溢れるようなヘザーのセリフがブラックジョークだと分かり、ほっとした表情になると、私がヘザーのブラックジョークとそれを真に受けた私の反応に大笑いをしていた。そしてヘザーも意地悪な表情から笑顔変わり、私を思いっきりハグして「Welcome to America!!」と言って、ホームステイに来たことを歓迎してくれた。アメリカで様々な人に出会い、その誰もが”Welcome to America!”と言って歓迎してくれたが、後にも先にもこんなブラックジョークで私を迎えたのはヘザーだけだった。

 

        

 

こうして私はヘザーのブラックジョークの洗礼にあったのだが、その翌日、仕事帰りのヘザーとドローター家の庭で会ったら

 

“Ryuji, are you still here, aren’t you(リュウジ、まだいたんだね)?“

“I thought you’ve already gone(もう帰っちゃったかと思った)!”

 

と再度得意のブラックジョークで接して来た。しかし今回はすでに免疫が出来ていていたので、余裕をもって彼女のジョークを「また冗談言っているよ!」という表情で受け止めることが出来た。彼女はそう言い終えるのと同時に、仕事帰りに買って来たであろう「スプライト(コカ・コーラボトラーズの飲料水で当時日本ではまだ販売されていなかった私のアメリカでのお気に入りのドリンク)」を私にくれた。どうもアーサーやティムから「日本にはスプライトはなく、リュウジのお気に入り」であるという情報をゲットしたようで、前日のお詫びの意味も込めて買って来てくれたようだった。彼女のブラックジョークは、彼女のやさしさを素直に表せないことの照れ隠しであり、またそれが彼女としての優しさを表現であることが良く分かり、ヘザーにもアーサーやティムと同じの優しさを感じることが出来、本当はとても”いい奴”あることが分かり、とても好きになった。

 

                              


このように夕涼みの場は、涼しく過ごしやすだけではなく、自然と人が集い和気あいあいとした雰囲気があり、遠く日本から来た私を一人の仲間として受け入れてくれる温かい場でもあった。そこで私も皆の仲間の一人であることを感じられ本当に居心地が良かった。そしてその温かい居心地の良さを感じる度に、私の心の扉が徐々に開いていったように感じた。そして彼らが英語で話している内容が分からなくても、心地良く聞けるようになり、自然に体の中にしみこんでいくような心地よさを感じられるようになっていった。アメリカにホームステイに出かける前は、私にとって「英語」とは、日本中の他の学生と同じように、学校で勉強しなければならない科目であったが、やらなければならない苦痛を伴う物から、大好きな人が話す愛おしいことばになった。この変化は私の人生において、とても大きな意味を持つものとなった。

 

今でも夏の晴れた日の夕方、我が家のベランダから涼しい風に吹かれながら、暮れゆく街の風景を眺めていると、ふとストューダー家の表庭での夕涼みの光景を思い出すことがある

 

         

 

そうすると彼らが私にかけてくれた”Are you lonely boy?” “I don’t say Yes!” “Ryuji, she is just joking”などのことばとが聞こえ、その時の彼らの表情が思い浮かぶ。彼らの笑顔が懐かしい。