一昨日、クメールニューイヤーでのお祭り騒ぎを名残惜しく思っていたこの日、4月17日は
カンボジアにとって忘れられない日。 

1975年7月19日ポルポト政権プノンペン制圧。 

その日、プノンペンに住んでいた人たちは、アメリカ軍が再爆撃に来るから3日間避難しろといわれて地方に逃げたそう。 

3日どころか多くが二度と戻ってこれず、むしろ3日でプノンペンから人がいなくなったと。



 わたしが初めてカンボジアに来たのは2001年。
その頃は多くを語りたがる人は少なくて。
当時友人宅へお邪魔してご両親に話を聞こうとしても、困ったような、悲しい目を見ることが多かったのを覚えてる。 

そりゃそうだ、まだ内戦が終わって20年ちょっとのころ。 


 それからさらに20年ほどたって、
今開催しているキャンプ中にはカンボジアスタッフから歴史を学ぶ時間がある。

 わたしも毎回訳しながら学ぶことが多かったんだけど、
今回とても大きな気づきがあった。 

大きいことだけど、なんでそこに今まで気が付かなかったんだろうという
衝撃的で悲しい気づき。 

文章にしたら下手だし軽くなってしまいそうで書くか迷ったけど、
すごく大事な気づきだったので残しておく。 


 ポルポト政権の支配により知識人がまず虐殺されていたことは有名で、
内戦が終わってからも作る人、治す人、教える人がいないため国の再建に時間がかかっていることも知っていた。 

学校なんかは有名でそれこそ日本からも多くの団体や個人が学校建設、物資支援、教員補充に関わってきた。
就学率や識字率はもちろん上がってる。 

それでも、まだわたしより年下の子が字を読めない書けないなんてことがよくある(英語ではない、母国語クメール語の話)。
それを教育の質や教員の不足、家庭が貧しいためこどもは学ぶより労働力として取られる、
というところが主な理由だとずーっと思ってた。疑いもなく。


 今回、話をしてくれたクメール人がさらっと言ったこと。 


「つい最近まで英語が話せたら殺された、勉強したら殺された、字が読めたら殺された。
だからみんな学ばないんだ」


 なんと単純で、その通りで、そんなことに気が付かなかったのか、恥ずかしくなった。  

シンプルだけど本質的な理由。


 もちろん上に書いた理由も間違ってはない。
けど、何よりも、昨日まで、ついこの前まで、何か人より知っていたら殺されていたかもしれないのに、どうして自分のこどもに学ばせようと思うのか。
もう終わったから、もう大丈夫、という外からの薄っぺらい言葉を信じて勉強を優先にするなんて、悲惨な状況に実際いた人たちには通用しない。


 40年以上がたって、もちろん今は変わってきているから子どもに学んでほしいという意識が高くなってる。

 それでもわたしたちの親世代が経験してきたこと。 

まだまだ歴史の浅い負の遺産。 


 昔から歴史を学ぶのは苦手。

 だけどこれは今いる国のことだからではなくて、多くの友人家族の身に起きていたこと。

 教科書に書いてあったことじゃない(ちなみに今の教科書にはあまりクメールルージュについて記載がないみたい)。 


 普段明るいカンボジア人に囲まれているので暗い話にはしたくないけど、
こうやって知る機会があるので私が知れることや聞ける声は聴いて、伝えていかなきゃなと思うのです。