安楽死
なんて言葉が持つイメージは何か今まで複雑なものがあった。
主に延命治療を打ち切る、点滴を外す、酸素吸入マスクを外す、劇薬を注射する(さすがにこれは医者が罰せられるので出来ないでしょうが)…
でも現在の高度な医学の発達の中でもこの『延命治療』は誠に困った存在だと思う。
人間本来の仕組みで安らかに死ねる所を妨げるのだから。
【餓死と自然死】
自然死とは餓死の事だが『命の火が消えかかってる死に際の老人と砂漠を彷徨って苦しむ健常人』とは違うのだそうだ。
この世に生まれて、そして命を全うしてこの世から逝く、そう言う場合の人間は自然に、苦しまず、生を終えることが出来るらしい。
そう言う風に人間の体は出来てるらしい。
体のプログラムが終わりを告げてるのだから『食べたく』もないし『喉も渇かない』、安らかに終息出来るのが本来の仕組みだそうだ。
でもその時になったら苦しむのは厭だ
と思ったら中村仁一先生は次の様に書いている。
1.飢餓 脳内にモルヒネ様物質が分泌される
2.脱水 意識レベルが下がる
3.酸欠状態 脳内にモルヒネ様物質が分泌される
4.炭酸ガス貯留 麻酔作用あり
なんとなんと人間の体は上手く出来てるのだろう。
天命が尽きる時、苦しまずに楽に、次の世界へ移行出来るのである。
死は恐くないのである。
まだ自分は体験者ではないが、もっともでもあると共感している。
植物人間
になって長年入院してる叔母が居る。
従妹曰く、自分が会いに行くと喜んで喋ってくれると聞かされていたが、一緒に初めて見舞った時には、うつろな悲しげな目を彷徨わせるばかりで結局退室するまで一言も発しなかった。
10人程の大部屋だったが殆んど鼻からチューブで食物を入れる人達で、皆寝たきりで精気が全く無く、失礼だがまるで亡者の集まりに見えた。
点滴と胃ろう(或いは鼻チューブ)で、もし具合が悪くなったら薬とかで対応、死なせない様に、最後まで手を尽くす病院と家族達。
これは悲劇だ、家族愛なんかじゃなく、大きな勘違いだ。
寿命が来た親を楽に送ってやる、看取ってやる事の方が最高の親孝行なはずだ。
自分が逝く時もそう有りたいとはっきりそう思う。