小学生の頃の、夏の午後だった。

 近所のスーパーで買ったばかりのカレーパンを手に、公園の花壇に腰を下ろす。揚げたての香りが鼻をくすぐり、ひと口かじると、油と甘辛いカレーの熱が舌の上で弾けた。思わず「うまい」と心の中で呟く。


 もう一口、そう思った瞬間だった。

 公園の入口から、見慣れぬ中年男が現れた。手には太いリード。その先には、私の体ほどもある犬。

 男は到着するなり、首輪からリードを外した。


 ――まさか。


 犬は一直線に、こちらへ。

 私は犬が苦手だった。慌てて身を引く拍子に、カレーパンが手から滑り落ち、土の上に転がった。


 呆然と、それを見つめた。

 気づけば立ち上がり、男に向かって叫んでいた。

「カレーパンを返せ! カレーパンを返せ!」

 自分でも驚くほどの声量で、何度も何度も繰り返した。


 男は顔をしかめ、「そんなに欲しいなら返してやる! 家まで来い!」と吐き捨てた。

 その勢いのまま、私は男の後をついて歩いた。


 辿り着いたのは古びた家。玄関先で、奥さんが出てきた。事情を聞くと、「あら、ごめんなさいね」と柔らかく頭を下げ、奥へ引っ込み財布を持ってきた。

 500円玉を差し出そうとした瞬間、男が怒鳴った。

「そんなにやらんでいい!」


 結局、私の手には100円玉がひとつ。

 それを握りしめて帰路についたが、その足でカレーパンを買い直したのかどうかは、もう思い出せない。