「動物として観るな!人間として観ろ!」
などと言っても無駄である。
人間も哺乳類という動物で、まず「人間という動物」の匂いとして犬は認識します。
"犬に動物として観られているということ"を自覚することは重要です。
なかなか難しいことなのですが、
むしろ我々「犬と暮らす人間」は、動物として観られたいに違いないと私は考えています。
ただ、動物の世界"自然"からずいぶんと遠く離れて生きる我々人間が"自然"に対する時、それは不器用そのもの。
言語やテクノロジーは単なる"哺乳類人間"の生存戦略とその結果です。
自然からしたら我々は自分達の狭い世界に引きこもった不器用な動物。
犬達と暮らす中で、我々は少しづつ自然や動物について学ぶことができます。
我々は学ぶ側でもあるのです。
自然(犬達)から学びそして教える。
「安全か?」それとも「危険か?」
「危険」をオヤツで教えられますか?
(※オヤツを否定している訳ではありませんよ)
「誉める」「叱る」の2つしか伝え方は無いの?(なんと単純な!!)
人が「安全・快」と感じていれば、
それは犬にも匂い・呼吸のリズム・表情・声等から解ります。
人が「危険・不快」と感じていても同様です。
その身体で感じている「快」「不快」と言葉や行動が異なっていることが人間の不器用中の不器用な所です。
「ここに居たくない」と感じていながら、
ドキドキ不安になったり、
イライラと不安定になったり、
感情を閉ざしたりしながら、
犬には理解不能な指示をするのです。
「オスワリ」(-.-)
「オスワリ!」(-_-#)
「オ ス ワ リ ~ ッ!!」(#`皿´)
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