きょうは曇り。
ちょっと前から雨が降り出した。







鬱々をなんとかしたくて
読んでなかった本を何冊か
本棚からひっぱりだしてみた。






そのうちのひとつ。











これによると




繊細なひとにとって
だいじなのは



「お魚、ふっくらとうまく焼けた」
「今日の夕焼けすごくきれいだった」
「カーテンのレースが揺れるのがきれいだなぁ」とか



そういうものらしい。










一年前、もっと苦しい頃
としさんと
さんざん話してた時に




「思考に答えはない」って話が出た。







それまでさんざんおしえられた
自分でも読み漁ってた
心理学の理論で
脳がいっぱいだった頃。




















「○○せねばならない」とか
「人の評価をだいじにすること」とか
「生産性のあることがだいじで、無駄なことは意味がない」
という






この社会の流れの中で生きていたら
そうなっていってしまうような





しんどいことに
添うようにと
生きすぎると





そっちで生きるのが
当たり前なのでしょ、みたいになると






なにがほんとうに
自分にとってしあわせで
なにがうれしいのか
なにがしたいのか


でてこなくなるらしい。










あと、繊細な人は
「深掘りする」「かなり良心的な人が多い」らしい。




そうじゃないひとは
「そこまで考えない」「繊細なひとたちがもつ、その感覚を持ってないから、こっちのことが、本気でわからない」




そして、繊細な人は
「そのひとたちが、本気で
わからない、のが、わからない」


っていう違いのことが書いてあった。












まじか!ってなって




人となにかあったときのことを
「あの人はどうしてあんなふうに言ったのかな」
「わたしはどうすればよかったのかな」
「どういうふうに考えれば楽になるのだろう」


って、ずっと、考え続けてしまう自分のことも



それで、楽にはならなかったことも



そうか、と思った。












わたしさ。





これをいうと怖い、って、先に書いとく。



人でなし、って
おもわれるんじゃないかなってことが
割とあって。









たとえば
公共の場でちっちゃい男の子が
三人くらい走り回ってて



すごくうるさいのが苦手で。








声がカン高くて
すごく大きいのとさ





男の子たちって
なにしてくるか
ちょっとわかんないな、って
とこがあって。


あれが苦手なんだけど。









お母さんが
それをほっといて
他のお母さんと
普通にしゃべってるのが



すごく不思議だった。











わたしを怒鳴ったり
ひどいことを言ったひとたち



両親含め




なんで平気で、ケロッと忘れちゃうのか



なんで平気でキレて
ひどいことを言えるのか






そういうことか、って思った。


















明日はとしさんの遠出に
ついていけることになった。






おうちで待ってなさい、って
言われるかもと思ってたのに。







でも、まだ終わってない仕事とか
明日の場所のこととか
時間のこととか
段取りとかで



わしゃーってなったらしくて



としさんが
声を荒げて。








ギャー!
こわいー!
ってなって。










いつもは
誰かがわたしに向かって怒ると





すんごい悲しくなるか
すんごいイラついて




しばらくその感情が
身体中に充満して






消えるまで耐えるか




(としさん相手だったら
激キレ返す)しかないのだけれど。






(キレ返すんかい)
(本当に怖いときはむりだよw)






なぜか今日は
ちょっとムカついただけで。







落ち着いたあと
としさんにちょこっと
やり返したけど(笑)






それで、わりと大丈夫だった。






ちなみに、としさんは、わたしとは
違うタイプの繊細。














繊細本。こっちは、わたしはダメだった。

リストの方が読みやすかったよー。