水分たっぷりの日々。
ぴちょんくんの話をしていたら、ほんとにぴちょんくんの看板をを呼んだw
 
 
愛知に帰ってきたら、いつもの川が気温の急な変化のせいか、雲海のようになってて、としさんが「龍がでてきそうだ」と、はしゃいだw
 
 
 
 
 
 
 
 
龍傘龍
 
 
 
 
 
 
ひさしぶりの八大龍王さま。
竹島の黒龍さま。
市杵島姫さま。弁天さま。
 
 
 
どうしてかわからないけど
かみさまのなかには
わたしを守りたいとか
よくしてやりたいと思ってくださる神様方がいてくださる。
 
 
 
 
竹島の竜王さまもそのおひとりで。
ずっとついててくださった方でもあって。
 
 
でもなんだかおそれおおくて。
 
 
 
 
 
 
ほんとうに久しぶりに会えたこの時が
不意にやってきて
あ、そうだった、守ってくださったのだと、実感して。
 
だけどそんなことあるのだろうかとぽかんとする部分もあって。
 
 
 
 
 
 
お喋りすると
よう来た、よう来た、と懐かしげに言ってくださったから
 
 
 
やっぱりほんとうだったのだと
 
 
わたしをすきだとおもってくださったのだと
 
 
ずっとわたしのことを考えてくださった方がかみさまのなかにいるのだと
 
 
この世界にそんな方がいてくださったのだと
なみだがでた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
竜王さまはいつもとても大きな声。
頭が割れるくらいの大きな声でお話ししてくださる。
 
 
 
 
 
 
 
稲妻が振り下ろされるように
わたしのなかのものをすべて裂く勢いで
ガラガラという音といっしょにお話をする。
 
 
 
 
 
 
この日も
うんうん、祓うてやるでな、と祓われたw
 
大丈夫だからな、前へ前へ、進むが良い、と。
 
 
 
 
 
氏神さまな市杵島姫さまも
何度もお会いしている。
海の近くの神社の方がはっきりとお喋りできる。
 
 
 
「この先、進む先に答えがあるのよ」
「だからもう行きなさい」と、ホホホと笑ってくださった。
 
 
 
 
 
 
 
帰って御朱印についてた説明をみたら
弁天さまは音楽の神様だったわねと。
 
あ、だからとしさんも呼ばれたのねと。
 
 
 
 
うんうんとうなずくとしさんの顔は
弁天さまのやさしさを
嬉しそうに感じているようにもみえたけれど
 
よくみれば
眠りの国へと片足を半分突っ込んでる顔なだけだった笑い泣き
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
わちゃわちゃした想いを話すたびに
掘り下げたりするたびに
としさんとわたしは似ているところがあって、びっくりする。
 
 
 
 
わちゃわちゃ話を聞いてくれて
いつもありがとうございます🤣
 
 
 
 
 
 
としさんだって、苦しくなかったわけじゃない
悲しいことがなかったわけじゃない
裏切られたことがないわけじゃない
しんどいことが少なかったわけじゃない。
 
 
 
 
 
むしろ、あのひとは、とてもやさしくて、まじめで、ひとになにかしてあげようとおもうひとだから、よけいにいろんなことがあったんじゃないのかなとか思ってしまう。
 
 
 
お互い修行好きね!と、ゲラゲラ笑ったw
 
 
 
 
やさしくてやわらかなものをあいしているとしさん。
 
 
 
 
 
たぶん、ほんとはとしさんも
「人間」よりも
動物や神様や植物の方がすきでしょと。
意地悪くつつくわたし笑い泣き
 
 
 
 
 
 
そして、たぶん、わたしとおなじように
魂の奥底の方に、人間のド阿呆。なんでやねんという怒りをかかえてもいるのだろうとおもう。
絶対に出さないようにしてるだけw
 
 
 
 
 
 
 
 
仕事をしなければならなかった、しかも、としさんは頭がいいし、手際もいいものだから、そのためについてくる重要な責任や役割を背負わなければならなかったおとこのひとの辛さは
 
わたしたち女性の辛さとは
また別だろうともおもう。
 
 
レムリアからずっとやし🤣
そのレムリアからわたしに「なんでやねん」と、ずっと叫ばれているつらさよ🤣
 
 
 
 
 
 
 
わたしはまだ気持ちの上では楽になれないけど。
 
 
 
 
どういうふうにおもったらいいのかなとおもうと
まぁこの言ってくれるそれは、わたしの光だなとおもえた。
 
 
 
 
 
くるしみもかなしさも葛藤も切なさも
怒りも嫉妬も妬みも闇も。
 
その中で出逢えたからこそわかる小さなやさしさや光のまぶしさ、あたたかさ
 
 
 
 
わたしがわたしを生きたからこそわかる
 
 
 
 
わたしだけの真実
 
 
 
 
わたしだけがわかるすべて。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だからこの手から発信していいし
それで人にわちゃわちゃなにかをいわれても、それはもういいのかなともおもう。
 
 
 
 
 
 
創り出すものはわたしの分身で
拙くともそれもわたしで
「出す」そこで楽になることもあるのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
coccoの闇に救われるように
だれかを救うこともあるのかもしれない。
 
 
 
 
 
おそらく、この惑星で生きるということをまっとうに味わいまくったからこそ
わたしのなかにあるそれらは、そのためにあると言えばいいのかもしれないw
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしは何度かここで書いてるけど
マツコデラックスさんがすきだ。
 
 
 
 
 
マツコさんは自分の異質さにずっと苦しんできた方なのだと、そう感じている。
 
 
 
 
 
「けどね、そんなわたしでも、お仕事があるわけよ。呼ばれるわけよ。なら、このわたしができることで、いつか、誰かの何かの役に立てるんじゃないかなと、だからこのお仕事をさせていただいているの」と。
 
 
わたしは、そーゆーマツコさんがすきだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
足のないイカだの
カニの爪だけだの
ぷよんとした大きなカエルが
うつぶせに
しんでいて
 
ぎゃあとなった日w
 
 
 
 
 
 
 
正義にただしいはないんやでと
核が良いものにも悪いものにも変わるように。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
とりあえず、今日はこんなことを
記しておくw