スコヤカ錬金術 -22ページ目
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法則の彼方を見据える

 錬金術をテーマにしたアニメ、「鋼の錬金術師」。例に漏れずあたしも結構好きなのですがね、この中に次のようなフレーズが出てきます。「何かを求めるには同等の代価を必要とする」。これはアニメ中を通しての大きな問題定義の一つとして出てくるのですが、この際なのでこの言葉について考えてみましょうよ。ね?物理にも出てきますが、これは「質量保存の法則」と通じるところがあると思うのですよ。要するに1から2は作りだせんということです。2を作るには2を用意しなさいよってことですな☆化学反応で見た目が変化したとしても、それを構成している元素の質量は変化しないんです。ここで疑問。「努力」はどうなのだ?。人が何かを成しえようとすると、努力をします。この努力は「代価」です。ではこの努力という代価を払った人は目的のものを手にすることが出来るでしょうか?答えは「否」ですね。いくら努力しても報われない。同等の見返りが得られないなんてこの世界では当り前です。なぜ何故!?労力!時間!気力!それらを代価としたのに何故得られない!?もしこの代価がそこいらの人の言われるように「それは努力が足らないからだよ」の台詞のように足らなかったとしたら、その足らなかったとはいえ払った代価は何処に保存されているのだろう?我が内にあるのか、あるいは別の次元の彼方か。
 そんな感じで、もし、とういうか現代に生きていれば当り前ですが、「お金が欲しい」と思い、それを手に入れるために代価を払うとする。それを叶えるシステムは会社・雇用という形で形成されています。では自分が代価を払っただけ会社は見返りを与えてくれているかというと、まぁ千差万別でしょうが、ギャップは多かれ少なかれあるんじゃない?もっと正確に代価と見返りのバランスの取れるようなシステムがあればいいんでしょうが、そんなものあたしゃ思いつきもしません☆つ~訳で人は今のアンバランスなシステムの中で(ひょっとしたら)多すぎる代価を払い続けさせられているのかもしれません。だからといってそんな苦情をどこにぶつけろというのか。精精酒飲んで管を巻く位ですよ。そら男の背中に哀愁も漂うってもんですよ。
 もし今までの努力が何処かに保存されていて、それがいつの日か帳尻合わせで実るのだとしたら、きっとあたしゃ凄い見返りが・・・と、あてにはできずとも期待せずにはおれません。それに人によって必要な代価の量も違いはあるだろうしね。・・・まぁつまり、きっとあたしゃ人より代価を多く要求されているのだろうなぁというぼやきみたいなものですよ・・・・。「代価は何時も、少し足らないもの・・・。」それが真理だというのだろうか?

思想の重要性

 はいはいスットコドッコイですよっと☆タイトルはお難くても内容の出所はあたしの頭なので大したことは無い。ブログのタイトルにもあるようにある種の「錬金術思想」を掲げてます。錬金術は呼んで字の如し、金を作り出そうって事だ。一重に富に対する欲求から生まれた技術ですなぁ。何も無いところから、もしくは全く価値の無いものから富の代名詞である金を生み出すことが出来れば、もうなんつぅか、就職問題も即解決ですね☆(なんだそりゃ)。確かに出発点の発想としてはこれほど理にかなったものはないね。みんなが必死で求める金をポンと生み出せるんですから。今で言うと、振れば金が出てくる貯金箱を求めるような発想でしょうか?しかし時は過ぎ、正直実現はしてませんね。正確には一応の「成功」は収めているらしいのですが、卑金属を金に換える技術は、コスト面で割りに合わないので実用性は今のところ無いそうです。とにかく、錬金術師が夢見たことは所詮夢物語で終わったといった感じですねぇ。

 ・・・それで話が終わったら俺の思想も終わりじゃ!ええっとつまりですね、錬金術をオカルトの一分野として蔑んだり放置プレイすることは簡単なのだが、錬金術と他のオカルト分野との圧倒的違いってのは俺の思うに「世の中の役に立つかどうか」。ここじゃないかと。最終目的は子供じみた発想だったり悪く言えば欲望さらけだしたようなものだけども、それを研究する過程で様々な科学的進歩にも貢献したわけですよ。何かを成し遂げようとして、一つの結果として実現はできなかったが、その中で確実に何かを生み出せてるわけです!スバラカシイ。人生生きていくならこうありたいものだ、そう思わせるものが錬金術の思想の中にあるのだよ☆現在でもビジネスを「お金を創り出す仕組み=錬金術」と称する動きもある。ここで掲げる思想ってのはコレに近いかな。まぁ詳しくは知らんがゾロ○スター教なんかの「悪魔思想」などよりはインスピレーションからして俄然役に立ちそうですねぇ。何処かに「悪魔思想で世の中に喧嘩を売るブログ」は無いかな?どう喧嘩を売るのかは全く想像付きかねますがね。

 そんな訳で、錬金術師は何であれ立派な思想を立て、それに基づいた理念で活動していたんだと思う。これは現代のクリエイティブな人間にも必要なのじゃないかしら。もっと言えば人間だれしもだ。何かを成し遂げたいとか実現させたいとか、そういった想いというものが無い人生があるとするならば、想像だがまず間違いなく「その日暮らし」となるんじゃなかな?食って寝て、思いつきで何かをしたり考えたり、なんつぅかこう・・・一貫性が無いというか持続力が無いというか・・・そんな感じ。自分の向かう指針が定まっていないのだからブラつくのは当然だと思う。まぁ逆に10代なんかで凄い思想を掲げられてもこっちも戸惑うがな・・・。とにかく揺るぎ無い土台を築き上げる為にも思想ってのは大事だってことね。その過程で軌道修正があったり、結果成功しなくても、確実に何かを残せるのではないでしょうか。

BLOG観

 ブログというものが世に広まりだして久しく、活用している人もかなりの数になってきているのではないだろうか。自分が初めてその言葉を耳にしたのはもう2年も3年も前のような気がする。大まかな概要としては、「知識や技術が無くても誰でも簡単にHPを持てる」といったようなやつだったと思う。またそれにプラスしてネット上でのコミュニティ構築のしやすさなど、横への広がりも可能性としてアピールされていた。そうしてブログが徐々に広まって行くのを見て、・・・実は正直ムカついたんですね☆
 当時自分がどれ程のものだったのかはっきりはしないが、取りあえずHTML、CSS、Javascript等、HPを作成するにあたってある程度の知識・技術を有しており、それらを更に活用し、工夫を凝らし、発展させていくことに没頭していたように思う。兎に角自分の知らない事など世の中に掃いて捨てる程あり、一つ一つ間を空けることなく必死で追いかけているような状態だった。要するに「ある程度出来るからこれで良し!」とする精神がとにかく嫌であり、それによって降りかかる「停滞・衰退」が最も恐ろしい事であったのだ。
 そんな中で語られるブログの魅力やアピールポイントなど、自分にとってはまさに「悪」の産物でしかなかった。作りたいという要求を瞬時に満たし、知りたいと思う気持ちを無くさせ、下手(?)をすると「アクセスアップなんて簡単だイエイ!」とか「コミュニティ構築なんて簡単!ザマーミロ」といったことまでも思わせてしまわないだろうか。サーバやFTPの知識も要らない、ただ表面的な嗜好のみで完結し、でも効果は最大限に反映されていく。こんなものに頼って何がHPだ!何がWEBだと、当時は感じた。しかし世の中の理屈はあたしのような理屈では動いていない。難しいものは簡単にしなければならない。無駄なものは省かねばならない。そうやって効率を上げていこうとするのが世の中だ。個人的にはブログに頼る気にもならないが、その便利さは認めている。確かにブログは便利で簡単だ。だから世の中に広まるのは当然である。それは認める。がしかし、決して自分はそこに甘んじることは無いだろうと今でも思う
 ブログを考えた人は偉大である。それまで専門知識を必要としたHP作成やそれに関する様々な問題をいっぺんに解決し世の中に広めた。まさに偉業である。自分にとって興味を覚えすごいと思うのはブログでは無い。ブログを作り出した人だ。世の中そういった「理屈はわからんが役には立つ」といった感じで何の疑問も持たずに使っているものが沢山ある。しかしその全てに疑問を持ち、理屈を知りたいと思うわけではない。それは自分の専門分野の事柄ではないから。なぜブログを遠ざけ、HPやWEBの仕組みや理屈を求めるのか、それはそれが俺にとって専門分野だからだ。「これは自分の分野だ」と思うのであれば一般の人と同じように使っていてはだめだろうし、詳しく知っていて当然である。ましてや「簡単便利だから」という考えなんてしようものなら周りが何と言うかわからないがその世界では失格であると思う。ブログは専門ではない人たちが簡単便利にWEB上にHPを構築できるすばらしいものだ。だからそういった人たちはどんどんブログの恩恵にあずかっていってもらいたい。しかしその分野を専門とする人はそうは行かない。日々精進し、DogYearと言われるIT業界の中でアンテナを張り巡らせていなければならないのだ。
 まぁそのようにだ。世の中いろんなものがあるが、どれも最初に考え出した人が居るわけですよ。その便利さをただ「使って」いるだけの物だってある。だがしかし、せめて自分の分野においては、「使う人」ではなく、「創る」人でありたいとね、思う訳です。

カキハジメ

 ブログ煮込め・・・もとい二個目です。ブログを複数たてる理由は「それぞれのブログの相違点」を自分なりに吟味せんが為である。よって話が転々とすることもあるだろう。まぁ気にしない☆そんじゃまぁ一丁行ってみるか。キャホーイ☆

 さて、錬金術と謡ったところで、別に怪しげな材料や機具で実験を行うようなものではないですよっと。簡単に言うと「錬金術思想でどれだけ世の中に喧嘩売れるか」という考え方で繰り広げられる日々を適当に書き連ねるだけです。ちなみにタイトルは「スコレン」と略してくれると之幸いです☆

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