鮎鮨街道(旧岐阜街道)の遮断 | 岳紫のブログ

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鮎鮨街道(旧岐阜街道)の遮断

 旧岐阜街道は「鮎鮨街道」ともいわれ、徳川家康に献上するため、長良川で獲れた鮎を熟れ鮨に加工して、毎年5月から8月まで毎月6回岐阜から江戸まで4~5日で鮎鮨が運ばれたなどという由緒ある街道である。

 一宮市内の旧岐阜街道は、大河木曽川左岸の北方町北方字川原屋敷・宝江渡船場跡から旧尾西線木曽川橋駅前(廃止)を通り、やや左にカーブして旧国道(現県道)に出て、古川橋を越えて左寄りの道を東進し、名鉄黒田駅の北をさらに東へ進む。東海道本線踏切を越え、黒田往還東の交差点を南へ一直線、西町北の鉤の手を東から南へ、東海道本線に沿って南下する。河野善龍寺・西蓮寺門前を南下し、黒田五ノ通り・四ノ通りをやや蛇行し、木曽川町福塚前・今伊勢町馬寄福塚前を南下し、やや左に蛇行しさらに南下して、旧国道に出る経路である。(以下後日)

 問題は、旧国道(岐阜街道)へ出る手前でガードレールで遮断されてしまったことである。令和4年(2022)度に南北に北へ一直線の道路が開通したことにより遮断されてしまい、歴史遺産である「鮎鮨街道」がここでストップしてしまった形状になっている。

 車社会だから道路の整備は必要であるが、歴史遺産が生きる方法で計画して欲しいものである。(岳紫のブログ3808)

 

 遮断された鮎鮨街道、向こう側勾配がある道路が旧国道(岐阜街道)、その手前・中央が鮎鮨街道、手前が新しく新設された直線道路

 

新設道路から岐阜街道交差点を見る。