真清田神社の大鳥居の謎(その2)
平成25年(2014)12月22日のブログで、「真清田神社の大鳥居の謎」として、大鳥居が「神明鳥居」から「明神鳥居」へ、いつ、どうして変わったのだろうとブログした。
当時、神社に尋ねたことがあるが、判らないとのことであった。先日神社から電話があった。
神社の鳥居は、承応二年(1653)の神社古図「真清田神社参詣曼荼羅」に、境内すべての鳥居が「明神鳥居」で描かれており、「張州府志」にある境内図も「明神鳥居」である。
明治40年(1907)に大鳥居を寄進で建てる際、当時の沢渡廣孝行宮司が間違えて「神明鳥居」を発注されたのでないだろうか、との推測話がある。
『岳紫・寄進者の意向も考えられるし、伊勢神宮・熱田神宮(江戸時代の古図に明神鳥居が描かれている)が「神明鳥居」であるということも考えられる。』
両柱はそのまま使い、明治40年(1907)以前の、「明神鳥居」に改造されたのは、昭和16年(1941)であることが、写真家杉本悦郎氏(1903~?)が、神社に残されたスライドで判明した。しかし、明神ー神明―明神の理由ははっきりしない。
尾張一宮名勝図会 三八市 神社は神明鳥居
真清田神社参詣曼陀羅
張州府志より