アラモの碑 | 岳紫のブログ

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 今朝の中日新聞愛知県内版に、アラモの碑の記事が大きく取り上げられている。21年前の平成3年(1991)7月13日にサンアントニオのアラモの砦公園を訪れたときのことを懐かしんで、当時の記録を取りだした。

 1836年の戦いで、テキサスの勇士たち188人が、サンタアナのメキシコ大軍に12日間も戦い死守した砦である。13日目にして、ついに全員討ち死にとなった。「アラモの戦いを忘れるな」自由を勝ち取るため自分の命を犠牲にして戦われた。

 テキサスの勇士の彫刻のついた大きな記念碑が砦前のプラザに建てられている。

砦は美しい公園になっていて、花や樹木がいっぱいで、資料館もある。公園の中には、愛知県岡崎市出身の地理学者志賀重昂(1863~1927)が、大正3年(1914)に建てた高さ50センチ程の小さな石碑があった。由緒は「長篠の戦いで、武田軍に包囲された長篠城から抜け出て、徳川軍に危機を知らせた家臣と、アラモ砦から友軍を求めて、敵陣を走ったと云う青年が似ており、この青年の勇者ぶりを称えて石碑が建てられた。」もので、石材は三河の長篠城近くから採取され、ここに運ばれたと云う。



アラモの砦公園入り口(1991)

中日新聞愛知県内版2014-8-16