クサレガミのアップルパイ

クサレガミのアップルパイ

読んで不愉快になったり清々しく前に進めたりすると思って書いて失敗したお話書きます。

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~世界は一つではない。世界は終わってもまた新たな世界が目の前に広がる。戦争のない未来はないけど、平和をあなた達は望む。叶いのしない平和な世界を目指して何もせずに見届ける人間たちが滑稽で滑稽で私は毎日発狂する~

PCの未送信のメールボックスにこんな言葉が残されていた。
これは私が書いたのだろうか。

日付は2011年の11月15日。
私にとって何か特別な日というわけでもない。この日が誕生日の友達がいるわけでも、予定があるわけでも、もちろんない。
だから不思議に思うのだ。
そして、何故付箋にでも書けそうな言葉をわざわざ共同PCで未送信メールというカタチで残そうとしたのだろう。
おかしくて仕方ない。

私が自分のPCのアドレスを持ったのは2011年の11月だ。
当時にしては珍しいタッチ式のケータイ(スマホでもiPhoneでもないが)だった私だが、インターネットは制限されていて、好きな画像の保存はできなかった。そのため、PCで画像を保存しメールでケータイに送るという事を1週間に1度程度で行い始めた。
可愛いデコメ、アイドルやダンサーの画像。夢中になって右クリックしては保存、右クリックしては保存の繰り返し…。
そんな面倒な作業を6年生の軽い高飛車少女は楽しくてしょうがなかった。

自分はなーんでも苦労せずに出来ちゃうの。勉強だってまともにやんなくたって出来ちゃうし、運動だって球技以外なら楽勝よ。私に練習なんていらないの。大人が私の生きる道を塞がないでちょうだいよ。
そんなことを考えてばかりの日々だった。今思うとくだらなく、大人を見下す自分に後悔している。大体の大人が経験しているだろう。そう、小学生なんて所詮生まれつきの才能だけでやっていける。中学生からが本当の才能が見えるのである。何の苦労もなく何でも出来る人なんていない。もし、苦労しないで何でも出来るわ!と言い張る中学生がいたら、きっとその人は苦労を感じない人なのだろう。羨ましい。

ああ、どうして皮肉な言葉ばかり述べてしまうのだろうか。いつからこんなにもヒトを嫌うようになったのか、ヒトの青春を毛嫌いするようになったのか、ヒトの批評を明るく受け入れてしまうようになったのか。
自分の見た目以上に心の劣化が進んだこの3年間。
ボキャブラリーが豊富になったわけでもなく、彼氏ができたわけでもなく、ひたすら劣化したこの3年間。
最後に劣化こそ私の美学なんだと訳のわからない事を言い、キャラをさまよう3年間。
SNS依存症の1年間。
薄っぺらいようでコクのある、そんな中学校生活だった。
私の中ではもう受験とかんなもんしらねぇよってくらい悲しい偏差値、内申。
小学生の頃のあのくっそ生意気な中途半端な天才児の自分に蹴りを入れたい、そんなような悲しみ、怒り、笑いがこみ上げてくる。
馬鹿じゃねぇの?何考えてたんだよてめぇ。
下品な言葉遣いで過去の自分にお説教する自分が恥ずかしくこれがまた滑稽で素晴らしく薄汚く、これぞまさに世界が終わりかけたような最も美しくない現場であって現状。
なーんて考えをメモに書き留める自分に酔いしれる自分がとてもかっこ悪い。
Twitterで呟く言葉の数々。
学校での嫌なことは趣味垢で呟くのだが、こりゃまたかっこつけている。
お前は詩人か!
とベタなツッコミを自分にし、さらに現実から逃げたふりして泣き寝入る自分にいつも酔いしれてしまう。
ああ、自分カッコいい。センスある。ああ、勉強しなくちゃ。まあいいや。
何の進歩もないではないか!
口だけ達者です的なだっせえ嘘つきやがって!!!
とまた馬鹿なコントをし始める始末だからもう何の手の施しようがない。
だからまたこうやって文字を長ったらしく延々と並べるのだ。

今こうやっている間にも、戦争はやってるのだろう。人が亡くなることもあるのだろう。世界は広いのだから、沢山の事件があるだろう。
1人の人の人生の終わりや始まりなんて誰も気にしやしないだろう。
才能のないアーティストにアンチが飛び交っているだろう。
具合の悪い人もいるだろう。
何か一つのことに打ち込んで頑張っている人もいるのだろう。
人それぞれ毎秒毎秒何かをしている。毎秒毎秒考えが変わる。毎秒毎秒劣化している。進化すれば劣化もする。始まりがあれば終わりがある。生まれてきたには死んでしまう。
当たり前のことが想像できないくらい今の自分は瞳に輝きを失い、青春を毛嫌いしてしまっている。
これでは永久にアイドルになれないだろう。何も変われず終わるのだろう。

周りから変わったねと言われるほどの幸せは掴みたくはないけど、同じ課題を人生のテーマにして生きるのは、自分的に飽きて諦めてしまう。

新鮮な物を手にして超えて捨てる。

それを自分の生きる世界での憲法にしよう。

自分の事を変と言われても、お前も変だと嘘くさい笑顔で言える、そんな悪い奴に私は少しでも近づきたい。

今ある時間を無駄に使ってはいけない。

死を美しく彩るのはどれだけめちゃくちゃなストーリーな人生だったかだと、どんだけ消極的な悪い奴だったかで決まるのだと私は思ってしまうから、今まで通りのままでいいやと思う。

変わることを恐れてはいけないよ。

見方が変われば考えが変わったことに気づかないかもしれない。


やはり私は変わったんだな。
成長してないんだな。


何故かいつも私はきゃりーぱみゅぱみゅのようなごちゃつきと太宰治の晩年のようなものを変わらず愛してしまうのだろう。

人格が多重なのはしょうがないものなんですね。








思った言葉をつぶやいてしまう癖を直すために小説仕立てで日々のことを大袈裟風に書きます。
これが誰かに見られようが見られてないだろうがアクセス数目当てではなく単なる自己満足なので、文法のめちゃくちゃ具合は気にしないでいただきたいです。


はい、おやすみなさい。