ただいま、

実習中に娘の面倒を見るために

義母さん(イギリス出身、NZ在住)が

きてくれております。


これはいいチャンス。


実際、延命についてどう考えているのか

聞いてみました。


すんなり、

「胃ろうや経管栄養なんて絶対いや」

だそうです。


「そんなの私じゃないし、私の人生じゃないでしょう」

「そんなつらい、つまんない思いして生きてて何になるの」

だそうです。


ついでに、

「できれば老人ホームにも入りたくないわね」

だそうです。


でしょうね。。。

ある程度は予想してましたけど。



では反対に、たとえば認知症で食べられなくなってしまった親を持った娘の気持ちになったら

どうするだろう、

と聞いてみました。


しばらく悩んでましたが。。。

「でもやっぱり胃ろうにはしないと思うわ」

だそうです。


まず考えるのは

「胃ろうになった先の人生に何があるのか」

ということ。

その先に、未来があるならやってもいいと思うけど、

生きながらえているだけなら、

それをみるのも辛い。




オーストラリア、ニュージーランドで仕事するにあたり、

THIS IS ME/YOU/HER/HIM
これって私らしい/あなたらしい/彼女らしい/彼らしい

THIS IS NOT ME/YOU/HER/HIM
これって私らしくない/あなたらしくない/彼女らしくない/彼らしくない

という言葉を

何度となく聞いてきました。

いろんなシチュエーションで。


義母さんはやっぱりこの言葉を使いました。

胃ろうで寝たきりになっている姿を見るのは

IT IS NOT HER(もし母親だとしたら)

だって、彼女らしくないでしょう。

これまでの彼女の人生を振り返って、

彼女らしくないから。


これまでのその人の人生をリスペクトしている


そういうことなんじゃないでしょうか。



ただ。

「胃ろうをしないという決断もとても大変で、悲しいことなのよ」

だそうだ。


胃ろうをしないという決断=まもなくその人の死がやってくる

ということ。

決断する家族はそれを受け入れないといけない。



自然に逝かせてあげる、

ということも

家族にとってはとても大きな決断。


なんだかとても大きな罪悪感にさいなまれる気がして。

自分が決めてしまったという罪悪感。


それが日本でも胃ろうの患者さんを増やしているひとつの理由になっているのでは

ないでしょうか。

決められないから、医師にお任せしますといってしまう、

医師もおまかせしますといわれたら、じゃあ胃ろうを作りますかとなってしまう。


それよりも先に

「その人の人生を考える」

これからの人生もベッドで過ごすなら、

逝かせてあげたほうがきっと幸せだ、


というところに重点が置かれているのが

こちらの考え方、なんでしょうね。