渡航8回目 -英国- のべ16軒目 1999年9月~10月
火事騒動の後、列車に乗ってミッドランドへ移動。トラブルはまだ続く。列車は突然あたり一面羊だらけの牧草地帯で停車。
1分
2分
5分
10分
20分
くらいでやっと動き出した。乗客は慣れっこなのか別に騒ぐことも無い。何があったのは結局不明。
さて目的の駅についた。何度かこの列車に乗っていたが今までは単なる幸運であったとこの時気が付く。駅についたのに扉があかないのである。うひゃ~出発したらどうするんだ~とあせる。
突然後ろから女性が駆け寄ってきて、ドアの窓を下に降ろした。
そして窓から腕を出して、外側についていたドアノブを動かしてドアを開けてくれた。サンキュー助かった!。
誰がこんなドアの仕組みわかるんじゃ~~~~。
ホテルは今回はHホテル。周りに1軒の建物も無い牧草地の真ん中に建ったホテル。この時は特に悲惨な思い出は無かったが、後に同僚が事件(ちょっとオーバーかな)を起こすことになった。
スターアライアンス世界一周航空券
21回の渡航で、スターアライアンス世界一周航空券の利用が4回ある。世界4周したことになるのかもしれないが立ち寄った国は、英国、米国、カナダのみ。これじゃあ北半球4周だね。
29000マイルまでのチケットなんだけどいつも19000マイルくらいしか利用していない。マイラーからは叱られそうだけど業務渡航なので仕方が無い。
もしこのチケット使って世界一周する時は、西へ西へ進みましょう。時差の関係で時間が有効に使える上に時差ボケも少ないですよ。1度東へ東へ移動した時があったが、めちゃくちゃつらかった。
ブログにはまだこの時の旅は登場していません。色々とトラブルも経験したがその記事はまた後日に。
渡航8回目 -英国- のべ15軒目 1999年9月~10月
ロンドンのEuston駅の近くのホテルをお願い!と代理店に依頼したら、Kennedy Hotelという安宿のバウチャーを用意してもらった。今はもう別のチェーンに変わったのか同じ名前のホテルがみつからない。多分Thistle Eustonだと思うが現場で確認したわけではないので違うかもしれない。
とにかく当時は狭くて汚れたホテルだった。こんな小さなシングルベッドに大きなイギリス人がどうやって寝るんだというほど小さなベッド。ドアの鍵も安心できない。いつロクでもないヤツが部屋に入ってくるかわからんという印象だった。不安な夜を過ごした翌朝、部屋にコンチネンタルブレックファーストがデリバリーされた。こんなにたくさん甘いパンばかり食えるか!と思いつつも食事していたら、
突然!
ジリジリジリーーーっと
火災報知器の音。どうせいつものように誤報だろうとタカをくくっているとどうも部屋の外が騒がしい。
ドンドンドンドン
ドアをノックする音が鳴り響く! 恐る恐るドアを開けると黒人のいかついホテルマンが駆け寄ってきて、
"Get Out! Get Out, Hurry up!"
とただならぬ様子である。幸いにも荷造りは全部済んでいたのですぐさま荷物を持って飛び出す。ホテルマンの指示で非常階段や従業員用の通路を通りなんとかホテルの外へ。そこへ消防車が3台ほどやってきて、ETの映画で未知の細菌の防護服のようなものを着た連中が出てくるがちょうどあんなヤツらが何人もホテル内に駆け込む。
しまった!
部屋にジャケットを忘れてしまった。心臓はバクバク高鳴っている。
30分くらい過ぎただろうか。何事も無かったように皆がホテル内に戻り始めた。私も部屋に戻った。何事も無かった。結局何があったのか不明である。煙も炎も見ていないし臭いもしない。もしかしたら防災訓練だったのかもしれない・・・。
朝食の続きで腹ごしらえをしたが、冷めたコーヒーはとてもまずかった。
渡航7回目 -米国- のべ14軒目 1998年12月
サンフランシスコに移動した。宿泊先はEmbassy Suites Hotel San Rafaelだったと思う。はっきり言って正確に記憶していない。Embassy Suitesだったことは間違い無いと思うのだけど、どうしてこんな辺鄙そうな場所に泊まったのかよくわからない。一緒に行動していたアメリカ人が予約してくれてレンタカーで連れて行かれたのでよくわからない。サンフランシスコのダウンタウンに用事があったのになぁ。単にダウンタウンのホテルは混んでいたので予約が取れなかったのかもしれない。
夜遅くにチェックインして翌朝早朝に出発。まさに寝ただけなので、ほとんど記憶に残っていない。
渡航7回目 -米国- のべ13軒目 1998年12月
のべ13軒目は、初海外の時に泊まった米国西海岸某都市のHyattに滞在。ホテルには悲惨な思い出は無いのであるが、某オフィスへ向かう際のタクシーがちょっとひどかった。
ホテルのベルボーイが呼んでくれたのだけど、運転手は50歳過ぎの女性で車の中はどこもかしこも真っ赤か!朝から目がクラクラして、その上これまた香水のにおいがものすごい。
その日1日頭がクラクラしたのは言うまでも無い。
恋に落ちたら~僕の成功の秘密
渡航6回目 -ハワイ- のべ12軒目 1998年8月~9月
木曜日に始まったフジテレビ系の新ドラマ「恋に落ちたら~僕の成功の秘密」というドラマを、HDDレコーダーで何の気なしに録画していたので見ていた。最初の方で舞台がハワイになったのでどこか知っている所かなぁと思っていたら、ビンゴ!ちょうどいいタイミングでこの時に泊まったホテルでした。
画面にバッチリホテルの名前も出ていましたし間違いないと思います。なんとグッドタイミングなんでしょ。当時は、Turtle Bay Hiltonという名前だったと思います。
妻と二人でゴルフ三昧をしました。all inclusiveのプランでちょいと値段は高かったのですが、アクティビティは完全に無料、1日3食までレストランの食事は無料でした。私と妻はゴルフクラブを持ち込んで、毎日ゴルフを2ラウンド(全部無料でした)。セルフカートで二人で回るので早いんだ。私のゴルフ人生で、ミドルホールでの初バーディはここの隣にあったLinksというコースでした。何番ホールだったかなぁ。もう1度行けば思いだすんでしょうけど忘れた。
でも、最終日(帰国前日)の前日、段差で足をくじいて腫れ上がり、翌日はラウンドできず・・・。一人でプレイする妻を横目にカートの運転手をしていました。ホテルには悲惨な思い出は無いのですが、この旅の悲惨な思い出といえばこのことかな。
オアフ島に行ったのに結局ホノルルに立ち寄ることもなく、ろくに買い物もせず帰国しました。妻のスーツケースにはこのホテルのシンボルであるウミガメのシールが今でも張り付いています。
渡航5回目 -豪州- のべ11軒目 1997年12月
エアーズロックリゾートからお約束のようにシドニーに移動。宿泊先は
This hotel is under renovation. It is not yet accepting reservations. It is scheduled to reopen in mid 2005.
だってさ。
壁もきれいに塗りなおされているのかな?
ここのホテルの思い出は丁度クリスマスの頃だったので、ホテルのロビーで子供の聖歌隊が賛美歌を歌っていて聞き惚れていたことぐらいかな。多分悲惨な思い出は無かったと思う。
シドニーと言えばオペラハウスですが評判通りどうってことなかった。夜はもう元気に回復していた妻と一緒にカジノに繰り出す。結果はどうだったか思い出せないが、クレジットカードで少々キャッシングした記憶がありますんでまた負けたんだろうな。
シドニーの街って英国のバーミンガムに似ていると思いませんか? まあ大英帝国の影響大なので似ていて当然なのかもしれませんが・・・。
渡航5回目 -豪州- のべ10軒目 1997年12月
さてケアンズでグレートバリアリーフの小島ツアー(グリーン島だったか)に行ったり、動物園でコアラやカンガルーと戯れた後、2番目の訪問先はUlulu(エアーズロック)。ホテルはSails In The Desert Hotelだった。
別にホテルに悲惨な思い出は無いが、このあたりハエがやたらめったら居る。きっと私の二酸化炭素の放出量が多いのだろう、耳の穴や鼻の穴までハエたちが入り込んでくる。養蜂家の人がしているような、ネットのついた帽子が必要だった。(ハエたっちは、妻にはあまり寄り付かなかった・・・)
でもまあこのエリアはとても同じ地球上とは思えないすばらしい所だった。良く晴れていたので、夜にあった「星空観測ツアー」は感激物! 本当に満点の空に星だらけ。山も何も無いので360度地平線までの星空。でもちょいと残念だったのは、見慣れた北半球の夜空と違ってなんだかよくわからない南半球の夜空だったこと。北半球で手軽に行ける所でどこかいい所無いかな? 誰か知りませんか?
確かカンガルーの肉を食った。おいしかった思い出は無い。
渡航4回目 -英国- のべ8軒目 1997年10月
またまたイングランド中部のBホテル。
(ホテル付近の公園。 ああカントリーサイド)
この時はロンドンで前泊しないで、Bホテルに直行しようとした。日曜日の夕方であった。当時まだ英国の鉄道に対しての知識が薄かった。日曜日は大幅な間引き運転をしているなんて思いもしていなかった。
さて最寄駅までの切符を買うと今日はもう、最寄駅まで行く列車が無いと言う。保線工事をしているからだと言う。じゃあどうやって行けばいいの?と聞くと、XX番線の列車に乗って、OO駅で降りてそこからバスで行けとのこと。念のため別の駅員にも聞いてみると別のことを言う。あれれと思ってまた別の駅員に聞くとこれまた別のルートを教える。いったい全体どうすりゃいいんだと計6人に聞いた。6人目の駅員が最初の切符売り場の人と同じルートを教えてくれたので、結局そのルートを選択した。英国の鉄道ってなんていい加減なんだと当時は思ったが、今から考えると、多分どのルートも正解で、全部ちゃんとした答えだったのだと思う。この後も英国の鉄道にはたびたび悩まされることになった・・・。
さてホテルの滞在中とくに悲惨な思い出は無いが、確か土曜の帰りのフライトがキャンセル待ちで日曜日のフライトが取れている状態だった。土曜のフライトはどうも取れそうにないので、せめてロンドンに移動しておこうよとこのホテルからロンドンの色んなホテルに電話しまくった。ただ、何か大きなイベントがあるらしくどこのホテルも満員だと言う。今ならインターネットでちょちょいのちょいと予約できそうだけど、当時そんな術は無かった(知らなかっただけかも)。そうして、周りにロクに店も無い、田舎のホテルで暇な1日を過ごすことになってしまったのであった。
--- 2005-04-21 追記 ---
ひとつ悲惨な出来事を思い出した。このホテルのBARでボトルオブウォーターを2本欲しいんだがあるかと聞くとあると言う。早速売ってくれといい金を払おうとした。£7だと言うのでしぶしぶ払った。
おいおい水1本700円かよ~
足元見やがって、ボッタクリすぎだぞ。
その後このホテルのBARではビールしか飲まないことにした。