2025年11月8日(土)
この日の沖縄・伊平屋島(伊平屋村)は気持ちのいい晴天。
ムーンライトマラソン前の時間に島南部のある所を訪ねた。
ごつい石碑が立ち並び、地面には太い線が引かれている。
右の石碑に示された通り、この太線は北緯27度線。
島と第二次世界大戦の関わりを伝える記念の場だ。
石碑の広場の奥には、碧くきらめく海が広がる。
沖縄らしい光景だ。
ここは北緯27度線記念広場。
石碑にはめ込まれた写真や絵で歴史をたどれる。
戦後に沖縄・奄美周辺は米国統治下となった。
1953年に日本への一回目の返還があったが、
それは北緯27度線より北の地域だった。
陸地を27度線が通過するのは、伊平屋島だけ。
地面の太い線はその27度線を示している。
つまり、緯度線そのままでの返還ならば、
島が米国統治下と日本に二分されていた。
実際は上の写真にある通り、
伊平屋島は丸ごと米国統治下に残された。
1972年の沖縄本土復帰の時に本土復帰となった。
戦争中、伊平屋島に米軍が上陸したのは1945年6月3日。
米軍上陸の光景が写真に生々しく残されていた。
島では大勢として「生きる道」を選んだ。
ただ、島は疲弊し降伏の白旗用の白い布も乏しかった。
収容所生活、米軍統治下の光景などの展示もあった。
この広場で島の終戦、戦後をたどれた。
◇ ◇
場所は変わって伊平屋村役場の前。
ムーンライトマラソン会場へ上る坂の入り口。
写真右に立つ柱は、
1945年6月3日の米軍上陸の記録を残す碑だ。
上から時計、鐘、碑文となっている。
沖縄戦により島では約40人の死者が出たと記している。
碑を建てたのは、
平和のためには戦争体験を風化させず、
残すことが必要だとの思いからだという。
◇ ◇
伊平屋ムーンライトマラソンの
大会ガイドのあいさつ文で、
大会顧問の金城信光村議会議長は書いている。
「私たちは(中略)平和の尊さを次世代に継承する
必要があります。
スポーツや文化活動を楽しむことができるのは、
平和な環境があってこそ」
◇ ◇
ムーンライトマラソンがいつまでも続いてほしい。






