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10月19日(金)11時35分、
沖縄県今帰仁村の運天港に到着した。
前日の18日(木)18:00に大阪の自宅を出発、
関空から空路で夜遅く那覇に到着。
ビジネスホテルで一泊して、
この日10時に那覇空港で専用シャトルバスに乗車。
約1時間半バス乗って、この旅客ターミナルに着いた。
この日伊平屋島に渡り、
20日の伊平屋ムーンライトマラソン出場の予定だった。
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運天港は伊平屋島へ渡る唯一の航路の発着点。
この日はランナーたちの歓迎ムードがあふれていた。
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フェリーにランナーが続々と乗り込んだ。
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13時30分、伊平屋島前泊港に到着。
航海は約1時間20分だった。
途中、船は結構揺れた。
船酔いした人もいたとか。
旅客ターミナルでは、地元の人々がお出迎え。
伊平屋島は沖縄最北端の有人離れ島。
小島の野甫島と二島で伊平屋村を構成する。
人口約1400人。
ムーンライトマラソンの参加者は約1000人。
マラソンの時に人口はほぼ倍増する。
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港にある産業連携拠点センターがマラソン受付会場。
船を降りると、すぐに受付できるのが便利だ。
大会のキャッチフレーズはは「星の声援、月の伴走」。
フルとハーフとも、夕方から夜にかけて島を回る。
私の出るフルは、15時スタートで制限時間6時間。
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受付を終えて、宿泊先の前泊公民館に向かう。
島にはホテル、旅館などの宿泊施設が少ない。
ランナーの宿舎に複数の公民館が提供される。
歩く途中、大会をPRする大きな絵が目に入った。
地元セメント会社のタンクだ。
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約10分歩くと、スーパーがあった。
公民館はこの店の隣だと聞いていた。
写真の左に向かって進む。
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公民館の小さな玄関口が見えた。
「こんにちは~」と声をかけて入る。
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宿舎となる広間は小さな体育館。
木の床にござがひいてあった。
既に先陣が数組到着していた。
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庭側から眺めた公民館。、右手の奥が広間。
手前のテーブルが朝食会場であり、宴会場だった。
ちなみに、写真を写している私の背中側はすぐ海岸。
沖縄の明るい海が広がっていた。
宿泊費一泊1000円で、朝食代が一食500円。
二泊二食で3000円という手軽さだった。
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公民館で一休みし、その後は港周辺を散歩。
夕方には港近くの「友愛と健康の広場」に出向いた。
この広場がマラソンの発着点。
前夜祭、後夜祭の会場ともなる。
前夜祭は19日18時からだった。
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前夜祭では名物のモズクそばが食べ放題。
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モズクそばは、モズクを練り込んだ沖縄そば。
辛い島の「一味」をかけて食べた。
文句なく美味い。
結局、三杯もごちそうになった。
飲み放題には、
シークワーサーと泡盛のカクテルなどがあった。
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ランナー同士、お互いの健闘を祈って乾杯。
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地元の少年少女が伝統の踊りを披露。
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夜で多少涼しくなるものの、半そで姿も目立った。
前夜祭は和気あいあいの雰囲気。
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19時過ぎ、上空には丸い月が上った。
明日の今頃は、この月を見ながら走っているのかな~
と思いながら宿泊先に向かった。
暗い夜道で空を見上げると、星も見えた。
星を眺めるのも久しぶりだった。
◇     ◇
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マラソン当日の20日(土)朝7時ごろ、
公民館前の海岸から朝日が見えた。
海に上る朝日が綺麗だった。
ただ、前日と一転して体も心も重かった。
実は夜、一睡もできなかった。
毛布を一枚敷くだけでは木の床が痛く感じた。
明け方近くなって毛布を5、6枚重ねたが、手遅れ。
また、広間の外のテーブルでは、
ランナーたちの宴会が午前零時過ぎまで続いた。
そして、広間では鼾が響き続けた。
様々な要素が重なって寝付くタイミングを失った。
63歳という自分の年齢を考えると、
徹夜した後に42kmを走るのは不安。
走り終えた後また公民館で一夜を過ごすのは嫌だった。
朝日を眺めるときは、
大会を棄権することを決めていた。
寝袋、マット、耳栓など備えをすれば良かった。
前泊しないで当日島に入れば、良かった。
色々と思うことはあるけれど、後の祭り。
いい勉強になった、と諦め、
朝10時過ぎに島を後にした。