3月18日(日)朝7時過ぎソウルのシンボル、光化門前にランナーがあふれた。フルに10kmやリレーなど合わせ総勢約3万5000人。ムンパパは2015年以来二度目で、フルに出場。コースは広く平坦、しかも涼しい。前回同様、走り易かった。リレー方式で、8時5分にスタート。曇り空で気温は6、7度だった。しかも、コースは真っ直ぐで広い大通り。有事には戦闘機の滑走路になる、とも言われている。思わずオーバーペースになり、慌てて軌道修正。広すぎて、道のどの辺を走ろうかと戸惑うことも。ランドマークの南大門が目に入る。途中、東大門の脇も通った。衣料品の安売りで有名な東大門市場の共同店舗。左は蘇った都心の清流、清渓川(チョンゲチョン)。どこかで見たことのある絵柄の大看板。ボウリング場の宣伝で、「ラウンドワン」と書いてあった。ただ、日本のあの会社は進出していないようだが…。清渓川を折り返す。川の両側を走るランナーが小さく見える。コース脇の様々な施設がトイレを提供。交番も例外ではない。レース中に四回、用を足したが、ガソリンスタンド二回、交番、商業ビル各一回ずつだった。大阪など日本のマンモス大会では考えられない。20km地点の少し手前、三年前と同じ場所。応援団のスパースだ。太鼓隊の後ろにはエアロバイクが並んでいる。三年前はバイクを必死に漕ぐ応援隊がいた。今回は時間が合わなかったのだろう。韓国のマラソンではおなじみのチョコパイ。エイド三カ所に並んでいた。合計三個いただいた。給水エイドでは紙コップが無くなる場所も。そこで、ランナーたちがボトルのまま、回し飲み。私も仲間に加わった。お互いに頑張ろう。37km地点で通過する蚕室大橋。ソウルのシンボル、漢江を渡る。橋の先に高層ビルが見える。江南の高級マンション群だろうか。高層ビルが密集し、どことなく異様な感じも。この橋を渡れば、ゴールまでもう少し。ゴールの五輪スタジアム前でラストスパート。1988年ソウル五輪の頃、韓国は輝いていたことを思い出す。スタジアムに入って、トラックを一周。多くのランナーが互いに刺激し合う格好。続々とゴールイン。オレンジ色のタンクトップは参加賞。スタジアムの周囲は臨時テント村が誕生。ランニングクラブなどグループごとの打ち上げが始まった。恒例なのだろう。◇ ◇ソウルの皆さん、コース設定や運営の面で走り易い大会でした。ありがとうございました。















