思えば どこから 入手
したもの だったのか 急に
尺八の 練習 なんかを
しはじめ たりとか しても
いたから
母親と 一緒に 逃げて
しまった 娘さん とか
だけでは なくて、案外
自分でも、音楽 やりた
かったり して いたのかも
しれないなあ。
へっぽこ さんが ガキのころ、
怪傑ズバット とか キカイダー、
初期 ムーミンの スナフキン
あたりとか、わりと ヒーロー
っぽい系の ひと達って どこか
斜に かまえてて なに気に
ギター 弾いたり なんか
していた もんだから まあ
その 幼児体験 って いうか
刷り込み現象 って いうか、
カタチにも なって ないまま
ぼんやりと では あるけれど
その 当時から ギター 弾きには
なりたくて、そこらの 建築現場の
片すみ あたりで 拾って
きた 板切れ とかに なん本か
クギ 打って、輪ゴム 引っかけて
これが 自分の ギターだ~
ってなこと ぐらいは やったり
してて。
決定的 だったのは たま~に
オヤジが 見たり していた
テレビの 金曜ロードショー
とかの 映画 番組で けっこう
頻繁に やってた ブルース
ブラザーズの 吹き替え版、やっぱ
あれは、ガキ なりに、かなりの
衝撃 だったしねえ。
内容 的にも ディレクターズ
カット だったから お子ちゃま
とかにも わりと やさしい
内容 には なっても いたしで。
まあ
あとから オリジナル 全編 みて
案外 ぎょっと したりも
しちゃうん だけど。
まあね、記憶 には まったく
ないけど ガキ なりの
あれ とかで それらに
対する あこがれ とかを
ふいに 思い 出すたびに、
そこいら じゅうに ギター
弾きたい ギター 弾きたいって
もらして たん だろうね、
ある日 その オジキが 娘の
お下がりだけど~ とか 言って、
白い アコギを 持ってきて
くれてね。
たぶん、小6の 冬休み とか
中学 1年の 入学式 まえの
春休み とか ぐらいの ころ
だったと 思うん だけど
進級 してすぐに 放課後
とか 昼 休みの 時間とか、
入学 早々 だって いうのに
直接 音楽 担当の 先生に
たのんで チューニングの
やり方 とか ドレミの 弾き方
なんかを 教えて もらいに
音楽 室まで 通ったり、
その先生に 言われて 町
唯一の 楽器屋まで ひとりで
音叉 買いに 行ったりね。
いまと なっては オジキん家の
ことだし 娘さんに 習わせたり
していた ヤマハの 音楽教室
とか用に つかってた ギター
だったんじゃ ないかな? ってな
ぐらいの もので、白いギター
だった~ って 程度で あれが
どういった 仕様の ギター
だったか なんてのも まったく
記憶に 残って ないし
なにしろ ガキの ころの
話だから まったく 調べも
していな かったけど、これで
自分も ギター弾きに なれるって、
ほんと、うれし かったなあ。
まったく あの アコギで
なん回 挫折
したことか。
そのうち オジキ、ウクレレ
なんかも くれたり したけど
いわゆる エレキ ギターと
出会う までは、当時から、
我 ながら、とても ギター
弾いてる うちには 入らな
かったねえ。
なにしろ べっぴん オンナ爪で
アコギの 太弦
だったしさあ。
当時の ことなんで ギターは
もちろん 楽器って ものに
関する 情報 なんかも 一切
ないし、まずは 弾くつど
爪を 切る、なんてえ 知恵も
知識も なかったし。
けどあれ、いつ だったか
わりと 意気 揚々と 最近
尺八 はじめたん だって
オジキが 言い はじめて
いた時期に 迷惑 だから
毎日 夕方 時間を 決めて
練習 しててな、ってなこと
言っても いたから、いまに
して 思えば、当時に しては
ごっつい 図体と いかつい
風貌 しては いたけど あれ
やっぱ、オジキ 自身も 音楽
すき だったん だろうと
思うん だけど。
わりと 家が 近所 だって
いうんで いっとき 毎日の
ように 顔 出して、実の
妹で ある うちの おふくろと
お勝手 なんかで くつろいで
しばらく しゃべくって いたり
してたん だけど ちょうど
年頃と なってた うちの
姉貴が 親戚 だからって
いい歳の 娘の いる家に
平気で 上がって いつまでも
入り浸るって おかしく
ないかって 文句 つけた
らしく、それっきり うちには
来なく なった らしいん
だけど いまに して 思えば
あれも、家族 逃げちゃった
身の上 だし、やっぱ けっこう、
毎日が
さみしかったん
だろうねえ。
そんな オジキと 同世代では
あった うちの オヤジは
この小さい 町でも 指折りの
やんちゃ坊で とおって いたから
ヨメに 行った 妹が 心配
だった~ ってな 面も どうやら
あった ようなん だけど
なにしろ ソリが 合わなくて
いつ だったか、オヤジと
酒 飲んでて 急に 顔
真っ赤に しながら まさしく
逃げる ように もんどり
うって 帰って 行った こと
なんかも あってねえ。
いやあ、怒り とか 激情
から とかでは なくて
血で。
うっすら おぼえて いるのは
つまみ なんかを つついて
いた フォークの 柄の方で
うちの オヤジに
ヘッドロック からの
アタマ がんがん
やられてて。
で、実の 妹の ダンナだもん、
そらあ 心配
だわよねえ。
そういう 意味じゃ オジキの
方が よっぽど まともな
人柄 では あった はずでは
あるんだ けれど じゃあ
その むかしに ヨメ さんや
娘 さんと いったい なにが
あって 別れたの か とかも
一切 聞いても いや しないし
べつに 興味も ないんだ
けれど、あれは いつ
だったかなあ、なにかの
はずみは あったん だろうとは
思うけど、ある日 ぽつりと
「おじちゃん、ひとりやで、病気で寝たきりになってしもたりとか、死んだときの葬式とか、どうするかなあ」
って ひとり言の ように
なぜか ふと 自分に
こぼした ことが あって、
たぶん まだ へっぽこ さんが
小学生の 高学年 ごろとか
だったと 思うん だけど
その ころに オヤジが 大借金
して 家 建てて、その 一角で
いち応 個人商店 名義での
魚屋 なんかを はじめて
いたころ でも あったから、
へっぽこ さんも 長男坊と
して この あたらしい家
守って いかなきゃ ならないん
だって たぶん ガキ なりに
かなり イキって いた面
なんかも 多分に あっただ
ろうとは 思うん だけど
「おれがこの家おるから、大丈夫。いつでも来て」
とか なんとか 言って
な~んかね、それこそ イキり
半分 なぐさめ 半分 みたいな
感じで そんな ことを クチに
したのを おぼえてる。
「……そうかあ?」
照れ ながらも オジキ
たぶん、ガキが なにを って
思い ながらも オジキ
どこか ちょっと
うれしそう だったなあ。
もちろん その 当時から
魚屋と しての 手伝い
なんかは ふつーに しては
いたんだ けれど 家業に
専念 するため にって 名目で
高校 半年で 辞めたら もう、
朝から 晩まで 安酒 くらって、
魚 なんか、まともに さわりも
しなかった けどね、あの
オヤジ。
さあ、
ただいま 2025年2月15日金曜日、
親族 4名 享年 90歳。
いまから 仕事 抜け出して
火葬場の あの 扉の とこまで
オジキを 見送りに
行ってきます。