AさんBさん

そんな折に、籍も居場所も名実ともに家から放り出されたはずの父親が、どうも「許してくれるものなら許してほしい」と母や姉に泣きついたらしく、「うちに帰してあげてほしい」旨の話を持ち掛けてくる。父親ももはやいい歳となり、孤独死が云々などと世間的に取りざたされはじめる少しまえの事なのだが、自分もすでにヒト科のオスとして、人間生活にはそこそこ精通してきている。

 

「詳しい話は知らんし興味もない。ただ、カネだのオンナだの愛憎こもごもが原因でわかれている以上、すべてを御破算としてイチから、なにもなっかたものとしてお互い生活していくという約定がなければ絶対にまた破綻する。年寄り夫婦としてお互いにそれが約束できるのか。できるのならばあとは夫婦間の話であり自分の関知するものではないし、できないのであれば無い」。

 

それが両親としてこの夫婦に出した、最初にして、最後の指示であり訓示だった。

 

わりとすぐ帰ってきた父親に商売をしていたころに使っていた電気水道完備の一室をあてがうといった形で両親の新生活ははじまったが、わりとすぐに破綻する。なるほど、たったひとつの約束さえもお互いに守れないし、なにかと理由をつけては守ろうとしたこともないクズ同士のふたりだということを忘れていた。忘れてはいたが、我が親ながら見栄と愛憎と自己顕示欲と自己保身の奴隷である。まあ、どうせ上手くはいかんだろうと、はなっから思ってはいた。思ってはいたが、まさか子供や嫁さんらまでをも引き込みまくってその害を家中に巻き散らかすに至る、堂々たる家庭不和をもたらすようになるとまでは予想できなかった。すみわけによる愚痴や嫌がらせはもちろん、ときには声を荒らげあっての威圧的行為をもいとわない父親と母親、そして嫁さんとの激烈苛烈な三すくみ。そして、嫁さんはともかく、父親も母親も、よせて触れては自分に取り入ろう、味方につけようと工作するのでさらにそれが三すくみの苛烈化に拍車をかける結果を呼ぶ。それに、我が親ながら、もはや駅裏通りのすえたヘドのごとくみえるオーラのような空気感が異様に気持ち悪い。最初のうちこそどうにか解消に向かわせられるよう努力はしたが、三すくみの脅威は個人の対応ではどう転がっても深みにしか陥らないことなのである。もはや対処療法しか打つ手がなくなったころ、今度は嫁さんと早咲きの思春期をむかえあつつあった長女Aさんが仲たがいをはじめてぶつかり合うようになり、お父ちゃんはいよいよあたりを力づくで押さえつけて回るしか打つ手がなくなるようになる。しかしそれでも、血のつながりだけをみれば、家庭内での他人は嫁さんだけなのである。子らには悪いが、まず守るべきは嫁さんの立場と平常心なのだ。筆舌に尽くしがたい労苦、などという言葉もあるが、まさしく、書くもしゃべるもカンベンしてほしいようなドロドロの日々がつづく。そしてそれは、当然のように子らにも悪影響をあたえはじめてしまい、「この家の業はぜったいに子らに回さない。自分の代で断ち切って死ぬことこそが役目」といったささやかな自負と自己目標みたいなものが、グラリと揺がされることとなる。

長女Aさんは乳飲み児のころからジッタリンジン好き。女の子らしく計算高い横着ものでわりと平気でウソをつき、ジジババによってもたらされた不協和音の鳴りひびく家庭環境もあって、成長に準じて嫁さんと衝突しはじめたりしながらも中学で吹奏楽部入りしてクラ吹き任命なるも仲間うちでの上達合戦に敗れ学生生活が荒みがちに。学童数自体が激減している田舎町では好き嫌い、人間性の合う合わない関係なく「クラス学年みんなでみんながオトモダチ学校」といった校風をなかば強制されてしまうため、しばしば人間関係の迷子に。高校進学により母娘衝突はさらに激化、自身、天然でヒキコだった過去がありもともと世間知らずでもあった嫁さんを激烈三すくみ中とはいえ言葉のみでノイローゼ寸前にまで追い込み、次第に人相のかわっていく嫁さんの顔色にさすがにまずいと思ったのか「ネコをもらってきてあてがえばアレの気もなごむのでは」作戦を勝手に展開してさらに衝突激化という経過を呼び込むことに。しかし基本、嫁さんとしてもネコ好き家庭出身のネコ好きオンナであるために数ヶ月もすれば作戦成果はAさんの意図したものとなってきて成功はするのだが、オンナの戦いはオトコのそれとは違って勝利ではなく戦うこと自体が目的であるため、ひと言ふた言が気に入らないとよって当たってモメはじめて、我が家の一員ながらすんげえ面倒くさい連中だなと再確認させられたり。

 

クラ吹きとしての自分のセンスに嫌気がさしたAさんはのち、やっすい白のレスポールモデルを入手してギター練習を開始。いつの間にかどこぞで購入して以来置きっぱなしとしてしまっていたVOXの格安10Wアンプを譲ってやるものの、残念ながらAさん、自分と同じ見事なオンナ爪の持ち主でやはり指板と悪戦苦闘、少しは弾けるようになったかな? ぐらいとなりはじめたある日、ネックのへし折られた無残なレスポールとともに学校から帰宅。おそらく、やっている姿を見せたい思いもあって学校へと持ち出したりしていたものの教室なんかでだれぞとジャレあったりしているうちに悪ノリが過ぎて、といったパターンであろうとは思うが、がっぽり割れの入ったレスポールをまえに強がってこそいたものの、そのときのAさんは明らかに落胆していた。かわりに、今度はレスポール系よりも少々雑に扱ってもへこたれにくいテレキャスモデルの安価なやつを。しかしAさん、流行りもあって初期ブルーハーツなどのパンク系とAKBというわけのわからん楽曲趣味に陥ってしまい、ここでもしばし迷走。学祭でコピーバンドやったり先生ダマくらかしてどうにか一発での高校卒業を完遂した現在でもしばしばギター熱がふと湧いてくるようではあるものの、あいかわらずオンナ爪に難渋させられると一気にやる気をなくし、そこらに放り出したままにしたりして小言をくらったりしている。いまはヤフオク入札しておいたら勝手に落っこちてきたやっすいストラトと、練習用として購入したnygigたらいう棒状のガットタイプギターを一応手持ちのメインとしているが、両方とも、父親たる自分のもとから言葉ひとつで、なかば強奪していったものである。

長男Bさんはジジババがそろうまでは明るく健全な住環境下でゆったりとした幼年期を過ごすことができたためもあってか、オチョケ者で要領をここうとして天然で失敗して発覚しがっつり叱られる、すなわち、はた目にもピエロ役が大好きとしか思えないようなドMタイプ。本人もそれを自任してすすんでボケ役をつとめようとするのだが、しかし、男子のオチョケが許されるのは本来、小学生期まで。成長期とともにそのうちイイカッコもしたくなって二枚目と三枚目の両方をこなせられる理想の自分と持てるポテンシャルとの差がすくなからずひらきはじめていることに気づいてあせり、中学生ともなると、日によってニヒルで寡黙なダンディBさんとコミカルでピエロな愉快なBさんを本人も演じわけなければならなくなって、演じ分けに失敗したり目論見からハズれたりして、周囲といらぬ摩擦を引き起こすこともしばしばに。しかしこれ、実はお年頃を迎えた大多数の男子共通にちかい悩み。理由は、どっちも女子にモテるから。

 

馬鹿のままではちと困るが、男の子は単純でいいし、単純がいい。

で、親のなんたらか門前の小僧か、小学生当時からすでにヒロト&マーシーはもちろんミッシェルや山口の富士夫さん、ボガンボスなどのジャパニーズロックに目覚めており、どこで知ったのか「ドラムやってみたい」などと言いいだしたりもしてきたのでスティックなんか買ってやったりしていたのだが、進学時、周囲の忠告も聞かずその場のノリで陸上部志望した中学Bさん、案の定、体育会系の先輩後輩付き合いにも日々ハードさを増すトレーニングにもついていきかね、女の子とも仲良くなりたくて現在、クラブ活動はチマチマ脱線中。しかしこれ、Bさんの言い分ももっともで、現在当地のクラブ活動、放課後から夜19時ちかくまで拘束され、家に帰してもらえない。もちろん、大会だ活動だで土日も関係なく出動させられていて、さながら軍隊訓練のよう。とうぜん時間があればスマホをいじくっているうちに寝入ってしまう日々なのだが、家には食って寝るために帰るだけの生活とは、どこの社所属の敏腕サラリーマンだ。自分たち世代から幾年月、おそらくクラブ活動と称して生徒の時間を締め上げてしまえば悪さするヒマもなくなるだろうとの魂胆、いや方針なのだろうが、教職管理者とか文科省ってのは、つくづく馬鹿なんじゃなかろうか? 子の自主性を奪い育てんで、なにが教育か。しかしいまや、苦情や問い合わせはモンスターペアレントである。嫁さんからも、子のためにならんからくれぐれも学校関連には手もクチも出すなと言われている。ので、Bさんに直接、「サボったらええが」と吹き込んでいる。内申にさわるというなら、さわらない程度にサボればいい。やりたいことも出来んで、なにが青春か。やりたいことを探すのが若者の特権であり、学生の務めであり、教育の本文である。夢や希望や目標をひとつになんぞ限定しようとするから人生に失敗する、した、なんて言い出すアホウが出てくるのであって、夢が浮浪者だってんなら、浮浪者になることができれば、それは立派に夢をかなえた人生の偉人なのだ。婦女子でいうなら、大学進学が夢でも一流企業入社が希望でも、目標のひとつが「お嫁さん」なのであれば、結婚できれば、それでしっかり、夢はかなうのである。夢や目標はいくつでも持てばいい。その候補を知り、調べる作業が勉強であり、その時間が学生時代なのだ。教師や管理者の都合で、搾取し浪費させるべきものではない。行ってはいけない方向に行きそうになったときにそれとなく戻り路を用意してやる。それが親の努めであり、大人の務めだ。

中学生現在、Bさんも最近、ギターをはじめている。家族でその町に出向く折があるとかならず立ち寄るそこそこ規模のおおきい中古雑貨屋さんがあるのだが、たまさか、そこで出会った黒いレスポールモデルにひと目ぼれ。グラスツール製の安価なやつだったのでボディに異常がないかだけチェックして試し弾きもせずに即日購入してきたのだが、いざ手元にくると及び腰となってしまって、何ヶ月かほどはスタンドに立てかけたまんまさわろうともしなかったのだが、残念だがもうやる気はないかなと見て売りなおすか誰かほしいひとを探して譲ろうかと考えはじめていたところ、購入時に教えてやったチューニング方法と2、3のコードとドレミのポジションをあらためてスマホで検索してこそこそ調べなおし、弾いてみようとはしている。楽器は勉強と同じ。本人が自発的にやる気を起こさない限り絶対に身につかない。まあ、待った甲斐はあったかなと思いきや、また止めたり弾いてみたり。隠れてこっそりクリーナーと保護剤塗って弦の管理していたお父ちゃん、きょうは弾いたか明日はどうかとこっそりにも神経を使いながらさらに日を送っていたら、やはり、クラブをサボりはじめるようになってから本格的に弾き出した模様。まあ、やりたいこととやらされることは往々にして違うもの。とりあえずの目標はと尋ねてみたらアベちゃんのカッティングだと真っ赤になりながら答えていたが、まずしばらくは、初期のブルーハーツあたりをカンペキに弾きこなせるようになることですな。ちなみにBさん、母方に似てどの指も見事なヘラ指で、父とAさんが歯噛みするほどの勢いで、弾けば引くほど基礎技術向上中。やる気次第、腕前次第で手持ちのスコアも機材もライブラリーも全部譲ってやるつもりではあるのだが、音楽だけでなく、夢はたくさん持つようにも指導中。可能性のカタマリは、なにかひとつでも人生越しの目標を成し遂げることができさえすれば、それだけで充分勝者なのだ。けっして他人さまや世間さまが、おいそれとかってに評価すべきことではない。

トラブルは向こうから

年寄りどもの不和拡散はつづいていたし、嫁さんとAさんのバチバチもわりと順調に回数を増やしてはいたが、家庭自体はとりあえず世間さまなみに回ってはいた。それまでは音楽とバイクにばかり向かっていたエネルギーや金銭の一切を「家族」に振り向けることで薄給をカバーしつつ、持ち家と、地元から離れたくないという嫁さんや子供たちの主張と生活を守る。おかげで何年も、小島真由美さんやモジョはもちろん、シオンさんや真心、富士夫さんやソウルフラワーなどのジャパニーズフェリバリットミュージシャンズのリリースニュースはもちろん、ストーンズや各オールデイズ系や、キヨシローさんの映像新譜でさえ、おいそれと追いかけられなくなってCDやDVDなどの発売データとともに、ノートに書き留める購入予定のリスト欄ばかりが次第次第に増えていったり。まあ、そちらはあせらずとも、いまやデジタル時代である。音源も映像も、いつになろうと入手できればそれでいい。まずは生物の存在理由、その第一義として、あらゆるイキモノは我が子を産み育て、解き放つためにのみ生存しているのだという証明を、おのが背中でもって教えていく。なに、カンタンにいえば、それは単なる「親心」というやつで、ようは、親も子も、それに忠実か否かというだけの話。自分はさいわいにして、わりと幼い段階で、身をもって、それを認識できていた。なので、いざその時がきてみたところでこれといった造作もなく自然に、そちらを選択していた。子らがしっかり巣立つまでは、それでいい。そんな気持ちだった。

 

しかし、まあ、好事魔多し……といっても、こちらとしては音楽とバイクという長年にもおよぶ自己救済的な趣味嗜好を「家庭」と引きかえに差し出しているわけなので好事なんてもの自体、そういえば、と思えるほどの実感なんぞもほとんどしていないわけなのだが、災いなんてものは往々にして、淡々とした日々の向こう側から高みから低みへと寄せゆく水面のように、さざ波であれ激流であれ、ひとたび起こりはじめると壁かなにか、しかも、波に見合ったヤワではない大小なりの遮蔽物などに行き当たらない限りは、なかなか止まらないとしたもので。

 

バブルに踊らされているだけとも知らず我を通し、学歴や職歴を否定した者への現在の転職状況など語るまでもない。もちろん、はからずも、すでにフリーアルバイターなる珍妙な職種を地でいっていた身の上でもあり、そんなプロレタリア階級をみずから進んで選びつづけてきたのだ、各職場の各現場、いわゆる社会の最前線では、実はウデと同輩からの信頼を得ることが学歴や職歴以上にものを言う、リアルな現実だけは知っている。そのために行うべきことはただひとつ。少しでいい、日々、上司の立てている自分への予想より、ほんの少しだけでも上回りつづける努力をすることである。これ、言葉にするとカンタンなように思えるのだが、世の「まえを見るしかない」クラスの社会人は、毎日が限界突破への挑戦なのだ、その努力もなかなか理解されにくいものだし、日々の疲労や気疲れも、そりゃあ尋常なものではない。しかし、あれこれと聞きまわってうるさいやつではあるが、それはあいつが努力家だからなんだなと認識されはじめると、それにともなって任される仕事の質もかわり、給料も待遇も少しづつ……。気の長い話ではあるが、それ自体は、どこの職場の、どんな階級の方々でもおなじであろう。しかし肉体労働者の場合、そんな疲労や気疲れは必ずや老いて身体の負担となるし、ややもすると、いづれ予期せぬ惨事へと帰結してしまうなんてことも、わりと聞く話ではある。ただそれが、自身の近場で起こるりえるかどうかなのだ。

まさしくカネを払ってでもなした努力で新天地において必要なウデと知識をわが身につけつづけ、それにともなう形で、徐々に待遇や薄給なんかも好転改善していく。ときには奥歯を噛みしめすぎるほど歯噛みするしかない日々がざらに続くプロレタリアートどもの心象に、ようやく、苦労の甲斐がではじめたのかなとの思いの到来する時期だ。なかなかどうして、自分はこちらの方法論のプロフェッショナルである。「職場側が頭を下げて引き留めにくるようになるまでは、なにがあってもぜったい仕事から逃げない」を理念にどこの職場でも、末端のものながらも、いちおう役職の声はいただいてきた。そして今回、もはや年齢も年齢で、そこに骨をうずめる覚悟をもって選んだ転職先でもあり、また自分の天賦にも見合った職種でもあったようで、日々の努力がようやく実を結び、どうにか役職の声がかかった矢先のこと、とつぜん、同業他社との合併話を告げられる。

 

なんのことはない。リストラである。

 

完全な職人職という職種の都合上、そりゃあウデ達者な年配者が多い。そしてウデ達者な年配者職人ともなれば、みなが皆高給取りである。自分などはそんな諸先輩方々の2段下ぐらいであったから直接の対象ではなかったのだが、職場側は

 

「合併を機に、職歴腕前関係なくみなゼロベースからの給料体系とする」

 

と、職人界にあるまじき通達をいきなり布告したのである。もちろん、すでに年配層となられていた方々はとっくに融通のきかなくなっている身体を押して薄給宣言をだした職場なんぞのために無理から尽くす必要などありはしない。とうぜん潮の引くかのごとく一斉に退職され、結果として、その負担は、日々の生活に追われまくる一方で職場に残る選択をせざるを得ない中間層に降ってくる。日を追うように、新人なみの給料のなかで、仕事量と職責だけは増していく。ことに、本来、職人職とは、他業種のそれ以上に、各個人の有する技術と知識だけがすべてといった世界である。上層部の連中に認めさせるしかない。残された中間層の皆がしゃにむに働いた。働いて働いて身体を壊し、否応もなく休業していく者が頻発しはじめる。残されたものに負担が向かう。もはや、絵にかいたような悪循環の様相である。そして自分は、その悪循環の最悪なほうの部類に陥ることとなった。

諸先輩方とのやりとりからも、体調管理や体力保持には常から気を配ってはいたし、仕事に対して油断や慢心もしていた覚えはない。ただ、この上なく、まさしく神の業としか思えないほどの絶妙きわまりないタイミングで、見事に悪運どもが重なった。それらはみな、それぞれを覚えていることすら困難なほどの、小さいちいさい悪運どもが雪でも降り積もるかのように、しずかに、目に見えないほど少しづつ重なっていったのである。冷たい集中治療室のベッドの上で古い型らしいどこか肌色がかった裸電球のたくさんつけられている大きめの照明なんかをぼんやりながめながら縫合を待つあいだ、あのときああしていたら。このときにでもそうしていたら。いや、朝5分でもはやく目が覚めていたりしていただけで、また今とはちがった現在があったのかもなあ。いや、まあ、でも、悪いことってのは起こるときはいつも、こんなもんだしなあ。あーあ。などと、思たりしていた。

 

駆け付けた嫁さんにひとしきりバカ話を打ったあと、ふと気づけば、どこかしら不快な、ねばり気のある泥土のような眠りに落ちていた。「眠い」のではなく、起きられないのだ。そうか、見たくなかったからあえて見てはこなかったのだが、現場では、よほど多量に失血していたのかもな。

 

病室の状況なども判断できるほど意識は覚醒に近いのに目覚められない。なんとも、妙な体験だった。

地元の病院が別件での手術中で急遽圏外の病院まで搬送されたのだが、そこでの当日担当医がたまたまその道のスペシャリスト。まったく運命てやつは、人間さまをおちょくっていあがる。よもや神さまなんてものが本当にいるってんなら、よほど目のまえに据えて世界平和からいのちの倫理まで、数日間ほどかけてとっぷりと説教してやりたいほどだ。おかげで足は切らずには済んだが、自在に動かせる部品でもなくなった。

 

もともとリストラ策を敷いていた職場である。半年ほどして退院すると、じきに「一身上の都合」を強要され、そこから路頭に迷いだす。そりゃあそうだろう、バリアフリーだ人権だと現実から遠い連中がいくら騒いでみたところで、自身が雇用主の立場であれば、なに故まともに動けない連中をまともに動けるものと同列に扱わなければならないのか。なまじ役職なんかをもらったりしていたぶん、そんな考え方も理解はできる。しかし、とつぜん放り出されたこの環境は、筆舌に載せられるようなものではない。また、形はつながりはしても中身は切れたままなので、筋肉筋骨系はもちろん、目には見えない血行不良や血管痛などになやまされ、気づくと下血までするようになった。うん……?

 

そう、わかる方にはすぐにご理解いただけるかと思うが、下血と足の切創とは、すこし関連性が薄い。なるほど血行不良は大いに問題ではあろうが、ならば臓器に向かう血流は逆に弱まるはずで、推測のとおり血行の不良が下血の一因であるならば、それは重篤なストレスもしくは、なにか別の、それも切羽詰まったような危険性をふくんだ症例が、大腸あたりに潜んでいる可能性を示唆している。

 

見つかったのは、数個のポリープ。しかも、そのうちのひとつは枝付きとよばれ、親指の先ほどにまで肥大した巨大なもの。ストレスか血行か、そいつが裂けてやぶれて、腸壁にぶらさがったままただれはじめていたのである。

 

術後静養してあらためて家中のひとに戻り、ふと気づいてみると、家庭のなかで、あきらかに序列が変化している。当人たちは全力で否定するだろうが、実感では、本人不在のうちに、どうやらネコとババアの間あたりにまで降格させられたようだ。なに、身に覚えがないではない。自分は父親と初衝突したときにそれを感じ、子である自分が親を乗り越えた、ある種の世代交代の瞬間のようなものを、若さという力をもって、父親から、ありありと感じ得た。が、自分の場合、ザマはない。ケガによる自滅である。できれば、AさんBさんのたっかいたっかい壁となってときに守りときに打ち砕き、いっぱしの人生観を手に入れられるようになるまでは行けるところまで引っ張ってやりたかったが、それは受け取る側に、ぶつかってでも乗り越えようとする意志あっての話。嫁さんやババアともども、くち先だけでその実よけて通られるようでは、良くも悪くも、家族の壁や道しるべになど、なっておれようはずもない。

 

まともに歩けない。走れない。動けない。自分の五体の有様をなによりも思い知らされたのは、実は、家の中だった。

ヤベえのが来たな

めいめいがめいめいに好き勝手をしはじめる。手綱をさばこうにも、いわば重りのなくなった家なんてものは、陰惨な方向にしか機能しない。いま思い出してみても、これは恐ろしい経験だった。どうみても不幸しか見えない方向にむけて気色をたたえ、自分以外のみなが喜び勇んで突っ込んでいくのである。もはや忠告も警告も聞かなければ、身体をはってでも止めてやれる五体の自由も、自分にはない。家族が不幸になっていく現実を、ただただ他人事のように見送るしかない。「取り返しのつかないこと」なんてものは後になって気づくもので、年経たものや経験や知識に長けたものは、それを身をもって知っているからこそあらかじめ回避するのであって、感情論やにわかに考えた程度の話で、どうにかなってくれるほど、甘いものではない。

 

父親と母親、労災や職安や年金、家族の中で外でとそこいらじゅう至るところでぶつかり弾かれしているあいだに、どこか現実感が浮遊しはじめる。下血まえになん度か膵炎でのたうち回り、もう、酒はやめている。またついでに、執刀医からの激烈な勧告と血行不良からくる体調の悪化とペコちゃんのアメちゃん、それに、ポリープ除去時に内視鏡でのたうち回らされたときの得も言われぬ腹部の鈍痛のおかげで、退院からこちら、いまのところ墓参日以外、タバコもくわえずにいられている。とすると、ときおりやってくるこの浮遊感は……。

 

「 ジブンハ、ナンデウマレテキタンダロウ・・・・・・? 」

 

ああ、あいつが来たんだなと割合すぐに理解はできた。しかし、今度のは、自我がまだぼんやりまでいってない分、けっこうヤベえやつのような気がする。

 

「 サイショカラ オマエニハ タイシテ イミハ ナイ 」

 

「 サイショカラ オマエニ イミハ ナイ 」

 

どこか遠くで、だれかの笑っている声がする。あれは、だれだ……? いやあ、だれでもいいか。

 

さすがにもう、いくらか、抗う気力も失せてきた。やれるだけ頑張ってきたんだし、もう、いいんじゃねーかなあ。

 

幾度かそいつが顔を出すたびに抑え込み戦ってはみたが、今回のそれはどうにもこちらのほうが分が悪いようで、なんとも勝ち抜けられる気がしない。それどころか、あらゆる場所で「いっそのこと……」なんて思いばかりが、ひょこひょこと湧いてくる。まだ感覚が「ぼんやり」とまでなっていないだけに、これはキツい。

 

「ギター、またはじめてみたら」

 

つとめて表には出さないようにしていたつもりだったのだが、やはり表情などにはわずかにもれ出ていたのだろう、ある日とつぜん、嫁さんがふとそんなことをくちにした。ブルースにはブルースを、か。それもいいかもしれない。が。

 

Bさんに買ってやった黒いレスポールモデルを手にしてみる。お、重い。ぶらさげて数分で腰がメゲる。Aさんのテレキャスはどうか。ストラップを通してみるとなまった肩にズシッと。これでは、取り置いた赤のスペシャルもカジノでさえも重く感じるはず。オンナ爪が判明した以上、アコギもあの太い弦ではNGだし……。

 

自慢ではないが、いざというときのためを思い、家庭というものを持つようになって音楽とも離れた日からこちら、自分のもとに入ってきたカネはほぼ全額、家族のため以外にはまったく使うことなくサイフ貯金として長年にわたり留めつづけてきていた。それはもはや、ちょっとした外出にもおにぎりと水筒をもって出るほどに。そこに、もう、いいんじゃねーかなあ、と「いっそのこと……」がやってくる。

 

何十年か振りだろう。買っちまった。

 

一本目は「Anygig」というメーカーの棒状のエレガット。いや、ボディのない、ほんとの棒状モデル。ガット弦のチョイスは初心にもどり、運指練習や手持ちのスコアの完コピなんかやろうかなと考え、そのぶん、フレットにかかるであろうダメージをあれあかじめ考慮したから。ブランクのあいだペペの後継機としていつの間にか購入していた小型のガットを気分次第でペロンペロンと弾いていたりしたのだが、ガット弦はあまり手入れもいらないうえにサビもこないし、フレットを傷めない。ほんとうはチェットモデルなみのちゃんとした一本が欲しいところではあったが、もはや金額をかけられるような身分でもないし、ただでさえオンナ爪のへたっぴさんなのだ、それに、この軽さがなければ、自分には負担になってしまう。また、いまでは信じられないことだが、ひと昔まえ当時は楽曲の完コピや運指練習などはプレイヤーとしての個性を奪う行為であると、そのスコアを掲載しているギター雑誌そのものが声高に主張していたのだ、情報のすくなかった時代、自分もしっかりその主張にならい、楽曲にあわせて勝手に弾いていただけで、完コピや運指練習の類など、いまのいままで一度たりとも、マトモにやったことがない。

 

遅すぎることはなにもない。ひとは皆やるかやらないか。あきらめることなく。ただ、それだけだ。

 

十数年ほどのあいだ脳内プレイヤーからバンバン流れていた幾多もの楽曲を、もはや誰はばかることなく時にギターで弾き、また時に、CDをテーブルにのせて実音で聴く。当時は、たとえそれがラジカセであっても「となりでプレイしてる程度には音量出さないと聴いた気になんかなれねーよ」などとイキがったりしていたものだが、いまやうるさくない程度の音量が、耳にも気持ち的にもちょうどいい。ああ、そうか。やっぱりおいら、音楽とおなじくらいギターが好きなんだな。上手とかヘタとか関係なく、ただ、ギターが好きなんだよ。たぶんバイクなんかも、音楽とおなじくらい好きなんだよな。

 

終わったのなら、また、はじめればいい。

メイベリーンだろう

サム&デイブのベスト盤。それに、チャックベリーとマークリボーと組んだシオンさんのやつとマーシーのソロ。もう死んじまったけど、チャックベリーは、やっぱメイベリーンだよなあ。

 

スティール弦の音色がどうにも恋しくなってもう一本買う。ヘフナー製のショーティとかいうちっこいモデル。安価な割にはなぜか数ヶ月ほど納期待ちさせられてしまったが、ショートネックのスモールボディでやたらと弾きにくいのだが、キュートですんげえかわいいヤツ。それにあわせてアンプも購入。フルチューブでいて5Wが売りの安物ブゲラ。チャンプのようなワンボリューム仕様ではなくゲインもアッテネーターもついているという値段のわりに使い勝手も出音も悪くない優れたモデル、……なのだが、日によって出音がこもりがちだったりして新品のままではまだどこかしら不安定のように感じられたためにスピーカー部をフェンダーのものへと交換、ついでに、スピーカーコードも手持ちの太めのものへとチェンジ。また他日、キズモノ処分品で出されていたフェンダーの格安10Wと何個かのハンディアンプに何個かのエフェクター。それに、ストラップやらスタンドなどの小物類を数セットにおもちゃのギターに、古いクラック入りのウクレレ。そう。本編でも幾度となくふれているが、これら、ヒマにあかせてのぞき見しはじめたヤフオクやらネットショップやらで見つけては入手した、質のいい格安もの。またさらに、ヘフナーのコピーモデルなのか横流し品なのか、どうとも判別できない黒い格安同型ギターをヤフオクで一本……。

 

さらには、嫁さん方のお義母さんが加齢を機に、もう手放したいからどうせなら引き取って乗らないかと申し出てくれ譲り受けるに至った、スズキの2サイクル原付スクーターがいち台。

 

なに、カカシんぼがもういち度自分をはじめるには、このうえないほど抜群のメンツである。しかもまだ、ジャパンカジノは手元にあるしギブソンのスペシャルにいたっては、いまだケース内で眠らせたままなのだ。もっともこの2本は若かりしころをともにすごし、スペシャルにいたってはエレキギターのイロハを教えてもらったとさえいえるほど、さんざん弾きまくったモデルである。使うのであればいずれ近いうちにリフレットに回さなければならないだろうが、そのまえに、Bさんあたりに譲る日がくるやもしれない。……いや。こないかもしれない、のか?

そして今回、スペシャルくんとほぼ同期にあたるほど、自分とも、ふるいつき合いとなったピグノーズアンプの改修改善を、時間もあるからと、いよいよ実施する運びとなった。というのは、本編に記したとおり、それが入手した当時から、仔ブタちゃんに対する数少ない、それでいて、けっこう重大な懸念のひとつであったから。また、新規に仲間入りしたブゲラくんにもまだ若干の懸念があって、それは、真空管による放熱量であったり。拙宅では、むかしから子供のためによろしくないとの説を取り入れて、クーラーの稼働を廃止している。そのため、夏場の暑さにただでさえアツアツとなる真空管が傷みはしないだろうかという点と、逆にアンプからの熱波が、よけいに部屋を暑くさせてんじゃねえか? といった点。やはり格安品とはいえ真空管アンプは真空管アンプ、出音の良さ自体は間違いないのだが、熱気の放出量はいかんともしがたい。ましてや夏場の暑さともなれば。

 

そこで「小型で軽量、音量少なめ音質重視で質のいいトランジスタ系アンプ、もしくはピグノーズの改良策」といった線でいろいろと調べているうちに「386」にまでたどり着き、年甲斐もなくどこかわくわくとトキメイてしまい、いよいよ自作するにまでいたった次第。そしていざ仕上げてみると、「なんともこれは、貴重すぎるほどいい音ではないか!」と思い至り、ギターは弾けどもご存知ない方々やご興味はあるけれどいまだ踏み込めずにいる方々に向けて、微力ながらも作り方などふくめ、ぜひともご紹介したいなあと、こうしてつらつら駄文をかさねてきたというわけで。

 

機械と努力は、自分を裏切らないからね。もちろん、そのぶんミスると、大きなしっぺ返しもくらうけれど。

 

父親は他界した。あれほど見栄坊のエエカッコシーの小心者だったのに、最後はひとり、さみしい孤独死となった。その後も我が家に住み暮らし続けてはいたものの、見栄坊の虫も口先人生も偏屈者の性根もなおらず身内一党どころかご近所さま方々からも孤立、部屋を閉ざし内カギをかけるようになり、母親どころか、知り合い親せき、子や孫が声をかけてもタヌキ寝入りで通す。食料やアルコールの買い出し時以外には外出もしなくなり、様子がおかしいと気づいたある夏の暑い日に、部屋で冷たくなっていた。母親から、子や孫もつけていないのに自分だけクーラーをつけるなとさんざんののしられ、またお互いの愛憎から意地の張り合いしかしないようになり、あげく真夏の盛りに、異様な高温となっている密室で。

 

母親の部屋は、ふすま一枚へだてただけの隣室だった。

 

遺体と部屋の状況からみるに、父親は、自分に優しかったむかしながらの母親の姿を、どうやら待ち望んでいたものらしい。あのひとらしい、いかにもかまってほしげな芝居がかった姿で死んでいた。おそらくそのまま逝くつもりなどなかったであろうことは見て取れたが、熱中症による自己意識の混濁までは計算外だったのだろう。

 

母親はまっさきに金目のものを探していた。警察や消防に連絡するなどよりも早く、まっさきに。

 

自分はこれで、都合ふたりの人間を見殺しにしたことになる。ひとりは唯一の親友であり、もうひとりは、実の父親だ……なんだこりゃ、という思いもしないではないが、まあ、自分の人生とは、こんなものなのだろう。

 

自分もいい年齢となり、ああ、そういえばと、実は父親についてはその存命中に、いろいろと思いをめぐらしてみたりはしていた。父親の、その薄幸とさえいえるでたらめな人間性のもととなる最大の原因、それは、実は戦争なんじゃないか。

 

日本会議の連中が大手をふり宗教家どもが政治をあやつりカネの亡者どもがよだれを垂らして戦争をまっている現代の日本。戦後数十年、世相だけでもまだこれほどにまでいがみ合おうとしているのだ、敗戦当時、やれ父無し児だの疎開ものだのとやられたことだろう。長男でもあり、祖父に代わって守るべき弟の多い父は仲間内で恐れられるほどに暴れまわり、見栄をはり、エエカッコをキメて、結果いこじな偏屈ものとならざるをえなかった。そこに理解者はいないし、エエカコシーの偏屈ものとして通したからには、だれにも弱みをみせられず、また、弱音もはけなかった。戦後を知らない自分たちなどが想像もつかないほど、よほど強く生きてきたに違いない。そういえば、父方の祖母も、ひと際つよいひとだったことを思い出す。……。

 

打ち解けて、などということはないが、庭先に出ている父親にふた言み言、自分のほうからも声をかけるようになったのは、それからである。もっとも、三すくみ中であるほかのふたりに見られると必ずあとから大惨事を引き起こす原因とされてしまうため、嫁さんはともかく、両親とは、どこで顔をあわせても双方に平等に、あくまで、ふた言み言のままだった。それは、父が亡くなったいまも変わらない。

 

人生なんてものは、なん度でもやりなおせばいい。父親のように自分の来し方にこり固まって生きる必要も、母親のようになにかにしがみついて生きる必要も、あしたにおびえて凍えて生きる必要もない。

 

意味はない。理解者なんかいない。それでもいいんじゃないか? そう思える生き方も、立派な正解のひとつである。

 

それを理解したうえで暮らしていれば、ある日理解者があらわれたとき、また、あらためて生きる意味を見出したとき、今度は向こうから、充実した日々がやってくる。なんのことはない、人生なんてものは、それの繰り返しなのだから。

 

 

 

楽しんだやつが勝ち。ざっつあえんじょいしんぷるらいふ、なんて。

 

 

 



 本日はここまでといたしましょう。そろそろ終わりですかね……?

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※へっぽこさんのSNS初出品となる利用ホームページ「Ameba Ownd」が今季をもって急遽仕様を変更し、データ量の減少とページ枠の現象から無料公開分は縮小限定となるとのことですので、その内容だけ、まるっとこちらのブログページへと移植させていただきました。

 

まったく、困ったもんだ。

 

11/11