●2016年7月下旬

長い長い二週間を経て、運命の日がやってきた。

いよいよ病気のあらましがはっきりする。

さんざん悪い結果を想定し尽していたため、この頃にはもはや悟りの境地という感じでだいぶ気持ちも落ち着いていたが、やはりどこかで希望も捨てきれずにいたので緊張していた。

この日は父と母と共に病院に向かった。

最初は余裕をかましていた母だったが、病院が近づいてくると「なんかドキドキしてきた。地に足がついてない感じがする」と弱気発言。

私の念仏じみた「悪性」発言が地味に効いていたのかもしれない。ちょっとかわいそうなことをしてしまったかも……。

おそらく、外来予約時間の最終枠だったのだと思う。

待合室に人はほとんどおらず、そのことが事の深刻さを物語っているようで緊張感に拍車がかかった。

今まで生きてきてこの時ほど気が滅入ったことはなかった。

そして今回もほぼ予約時間通りに、自分の受付番号が表示された。

親と一緒に診察室に入ると、相変わらず人当たり良さそうな顔で挨拶をする主治医がいた。

その雰囲気からは、まだ病状を察することはできなかった。

「えーっと……この間のMRI画像が……」

と、先生がパソコンを操作し始める。

ついにきたヤバいどうしようああもういやだやめてしんじゃう！　心拍数がMAXになる中、しかしなかなか画面には画像が表示されない。

「あれ……表示されないですね。ちょっと他の診察室のパソコンを試してみますね」

と、離席する先生。

ズコー――_(┐「ε:)_

これは何フラグ？　衝撃の展開の前のコマーシャルみたいなもん……？　やめてよ……そういうのいらないよ……。

悶々としていると、先生が戻ってきた。

「すみません。隣の診察室に移動してもらえますか」

今度こそいよいよか……。

一度緩んだ気を引き締めなおして退室し、数メートル先にある隣の診察室へ。

ドアを開けた瞬間、真っ先にパソコンの中の画像に目が留まった。

……あれ？　予想していたような画像じゃない……なんか明細胞腺癌っぽくないような……。

若干混乱しながら着席すると、先生が初診からこの日に至るまでの概要を、親に説明するような形で話し始めた。

そしてパソコンに向き直り、MRI画像に映し出された巨大なそら豆型の隅を指し、

「このように一部にこういうものがある場合、やはり良性とは言い難くなってくるんです」

と言った。

この辺りの先生との会話は曖昧なのだが、あらためて「卵巣腫瘍は手術して病理に出してからでないと診断がつかない」ことをとても丁寧に説明してもらった覚えがある。

しかし先生は、必要最低限のこと以外は話さないようにしている節もあった。

腫瘍マーカーの結果を口にすることはなかったし、MRIの所見を読み上げるということもなければ、疑われる組織型等を言及することもなかった。

これは先生のもともとの方針なのかもしれないが、もしかしたら、私がネットであれこれ調べてむやみに不安に陥るタイプだと見抜いての所作なのかもしれない、と思った。（以前の記事で失敗だったかもと書いたのはこのことです）

私のような患者には確かにそういう対応の方がいいのだろうが、たとえ悪い結果でズタボロになろうとも全てを知りたい身としては、先生の話だけを聞いて大人しくしているということは無理だった。

隙を盗んで、パソコンの画面に表示されている電子カルテをガン見した。

腫瘍マーカーの項目のところには、「CA125 CA19-9」とだけ記されていた。

数値までは書かれていないが、この2つのマーカーが陽性だったということだろうか。

続いてMRIのレポートに目を走らせたところ、

「16×〇×□cmの～病変」、「出血」、「石灰化」……といった情報がぶつ切りで飛び込んできた。

そして最後は「（未熟）奇形腫」という単語で締められていた。

……？　“（未熟）奇形腫”……？

なんか見たことある気がするけど……何だっけそれ？　というか、（未熟）←この括弧は何……？

「あのー……放射線科の先生はなんて……？」

思わずそう先生に尋ねていた。勝手にレポートを読んだものの、主治医からの説明が欲しかった。

「放射線科の先生はね、未熟奇形腫じゃないかと言っています」

そう言って先生は、「奇形腫は腫瘍の中に髪や脂肪や歯等が入っているもの」であり、「奇形腫自体は珍しいものではなく、良性である」ことや、しかし「“未熟”奇形腫となると、境界悪性以上になる」ことを補足した。

そういえば、若年層に好発しやすい卵巣腫瘍の中に、そんな感じのものがあったような……？

正直そっち方面はまったくノーマークだった。

この日まで9割方明細胞腺癌に違いないと思っていたし、そうじゃなければ類内膜腺癌か、先生の言う通りの境界悪性だとしたら、粘液性のものだろう……と。

卵巣癌の9割は上皮性のものらしい。なので、1割の方の組織型はまずないと思いこんでいた。最初から存在しないものとして見向きもせず、一瞬たりともその可能性を考えたことはなかった。

……というか、自分は何となく体が老化しているような自覚があったので、“若年層”という単語を見ただけで無意識に「これじゃない」と除外していたような気がする。

事前に組み立てていた筋道が一気に崩れ、迷子になる私の前で、先生の話は手術へとシフトしていった。

「手術は開腹で行う」こと。「術中迅速診断を行う」こと。「迅速診で境界悪性以上が出れば、片側の付属器（卵巣と卵管）と大網と虫垂を切除する」こと「リンパ節はとらない」こと……等々。

“明細胞腺癌I期ではリンパ節摘出個数が36個以下、進行期Ic期の患者で再発リスクが高い”という記事をどこかで読んだことがあったので、私は手術の際はリンパ節をできるだけたくさん取りまくってほしいと思っていた。

なので「リンパ節をとらない」発言に、つい「え……いいんですか？」と聞いてしまったのだが、先生は「リンパ節の摘出はステージを確定する意味があるだけで、予後には影響しない」と答え、さらに「リンパ浮腫になるリスクがあるので、今回は摘出しません」との見解だった。

これについては少々釈然としないながらも「まあいいか」と思ったが、妊孕性を温存した手術をするということに対しては、あらかじめ強い決意があったため、こう言った。

「悪性でも境界悪性でも、両卵巣と子宮を全摘してください」

この日までさんざん最悪のパターンを想定し尽し、死への恐怖心を育てていく中で、妊孕性への執着心は完全に消え失せていた。

そもそも私は女子力が低く、子供を産むことに対しての意識も低い方だった。むしろ結婚すらできる気がしなかったので、たとえ全ての臓器が健在であっても妊孕性が活躍する日は来ないだろうと考えていた。ので、躊躇いは一切なかった。（※）

とにかく再発が怖すぎてもう何でもいいから全部取ってほしかった。

これに対する先生の答えは「ノー」。

28歳という年齢の女性に対し、それは出来ないと。

「今は子供を産むつもりがなくても、いずれ良い人に出会い、子供を産みたいと思うかもしれない」そう諭された。

また、これは婦人科学会のガイドラインで決められていることだとも仰っていた。

患者の希望が通るわけではないことには驚いたが、いろいろと組織の事情があるなら仕方ない。勝手なことをしたら上の人に怒られちゃったりするのだろう……（ただの想像）

「もちろん命の危険があるなら、全摘します。ただ、まだ良性かも悪性かも確定していない以上は、一度で全てを取ろうとは思わないでください。まずは片側のみを摘出し、必要であれば後日再手術という形をとります」

「二回も手術することになるんですか？　だったら最初から全部取った方が……」

「そりゃあ誰だって二回も手術はしたくないでしょうけど……取ってみたら良性だったということもありますし、何でもかんでも取ればいいというものではないのです」

“再手術”という言葉に、母も思うところがあったんだろう。

「でも……実際のところ、どうなんですか？　良性か悪性か、ある程度の予測はつけられないんですか？　この画像を見て、先生の経験則で……」

ぶっちゃけ先生はどう思っているのよ、というニュアンスの発言をする母に、先生は苦笑をして、

「うーん……こればっかりは本当に取ってみないとわからないんですが……。正直ね……この画像を見ると、それほど強い悪性という気はしないんです。ただ、境界悪性くらいは出るかもしれないなぁと思っています」

と言い、さらに、

「良性の可能性も十分にあるので……もっと言えば、卵巣の中の悪い部分だけを取るという方法もあります」

と続けた。

卵巣というのは一部分が残っていれば正常に機能するらしい。

腫瘍部分だけを摘出し、両方の卵巣を残す方法もあるという話だった。

しかしこの方法は、摘出した部分から悪性細胞が出た場合、やはり再手術が必要になるとのことだった。

もちろんそれは丁重にお断りした。

もともと両卵巣とも全摘のつもりでいたのだ。良性の可能性があるとはいっても、悪性の可能性が0ではない限りせめて片方は丸ごと取ってほしかった。たとえ良性だったとしても後悔はないと思った。

先生はできるだけ残したいという考えでいたのだろう。

「片方の卵巣ごと切除で」という私の言葉にすぐには承知せず、

「まあ……ご家族で十分に話し合って、手術日までに決めてくださればいいので……」

と締めくくった。

それから術前検査や次回外来日の予約を入れ、およそ1時間半かかった診察は終了の流れに。

先生が電子カルテに「境界悪性くらい」と打ちこんでいるのを見て、ようやく私は、境界悪性の可能性を信じ始めることができたのだった。

（※　術後の今となっても妊孕性に対する意識は低い私ですが、せっかく残して頂いたのだから、そのことに感謝して、子供を産むことができたらいいなと思ってます）

⑩MRI検査結果